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「若い衆が突然、何人もいなくなる。中には組織で管理しているカネを持ち出した不届き者もいるが、追いかけるにしても人がいない」

 そう打ち明けるのは、東京を拠点に活動している山口組系幹部だ。そういった話を周辺の組織からも聞くという。

 住吉会の有力2次団体に所属していた元組員は筆者に次のように語った。

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「すでにヤクザを辞めた。今は塗装など内装工事の仕事をしている。ヤクザになる前も工事関係の仕事をしていたので元に戻っただけ。ヤクザでは食っていけないのだから仕方がない」

 山口組に次ぐ規模の暴力団、住吉会も2010年末には1万2600人の勢力を誇ったが、毎年減少し2019年末は4500人に。3番目の稲川会も2010年末の9100人から2019年末には3400人へと減少した。

 業界全体が縮小している中、現役幹部も“意地”で活動を続けている状況だ。

「昔に比べて、いまシノギ(資金獲得活動)が厳しいのは確かだろう。しかし、ヤクザは人気商売。大事なのはカタギの人たちから、どれほど協力を得られるか。苦しくても、自分には少なからず応援してくれる人がまだまだいる。だから絶対にヤクザは辞めない」(住吉会系幹部)

警察とイタチごっこ「変化したシノギ」

 年々縮小していく暴力団業界の現状について、警察庁幹部は次のように胸を張る。

「組員が減少しているのは、警察が取り締まりを強化し、暴力団排除運動などの対策を進めた結果、暴力団の資金獲得活動が困難になっているためだ」

 確かに暴力団業界は、「警察の取り締まり強化」と、経済情勢の影響を受けた「シノギの変化」によって、勢力の増減を繰り返してきた。

 戦後の混乱期を経て日本が国力を取り戻すのと同様に、暴力団も勢力を拡大し、高度成長期の1963年には全国で構成員と準構成員を合わせて約18万4100人と過去最多を記録していた。

警察の取り締まり強化が暴力団組員の増減を左右してきた(写真はイメージ) ©iStock.com

 その後、警察の集中的な取り締まりなどで減少傾向が続いたが、バブル景気がピークとなった1989年には前年の約8万8600人から増加に転じて約8万7300人、1991年には約9万1000人と再度、9万人台へと回復した。

 昭和の時代には賭博や売春、違法薬物の密売、繁華街の飲食店からのみかじめ料(用心棒代)の徴収などが主なシノギだったが、バブル期になると全国の地価高騰に便乗し、地上げなどの現場でヤクザが暗躍しはじめたのだ。