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「逃げ恥」特別編が“再燃” 10歳上の夫と暮らす私が「ムズキュン」より「生活」を選ぶまで

2020/05/26
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「誰もが、すべてのことを深く知るのって無理だと思わない? 誰かが知っていることを誰かは知らなくて、そうやって世界は回っているんじゃないかしら」

 イケメンにはイケメンの、ゲイにはゲイの喜びや困難がある。上記は百合のセリフだが、「逃げ恥」に登場するすべてのキャラクターが、誰もおろそかにせず誰も置いていかない脚本が、自分の知らなかった多様な生き方を教えてくれたように思う。

©時事通信社

10歳上の夫との間に「ムズキュン」はない

 私には今、みくりと同じく、10歳上の夫がいる。「共同経営責任者」という点も同じで、仕事のボリュームを相談しながら日々、家事・育児を分担している。

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「相談」と書いたが、我が家はみくりたちのような会議もないし、言語化されていないことも多い。特にコロナ禍の今は、保育園の登園を自粛している2歳半の子どもがずぅうっと家にいる。

 はじめこそ30分毎に子どもを交代で見るという、「逃げ恥」的な分担制でこの危機を乗り越えようとした。しかし、母の担当時間にきっちり母の元だけで遊んでくれるほど、子どもは単純ではない。そうして昼ごはんや休憩を挟むうちに、30分交代の境がみるみる曖昧化。数日で時間区切りによる分担制は消滅した。

 結局、ため息の頻度、子どもを叱る声に滲む怒気の濃淡、“うっかり昼寝”の有無といった相手の行動や気配から、「私(俺)がみるよ」の申し出を推し量る、玉虫色の担当制になった。

※写真はイメージです ©iStock.com

 結婚7年。夫との間に「ムズキュン」はない。でもそこには、「安心」という平和がある。その点「逃げ恥」は、「相手の意に反することをする人じゃない」安心感がありながら、「雇用主と従業員以上、恋人未満」というドキドキ感が両立していて、ちょっとうらやましかった。

 しかし、ドキドキ・ジャンキーだった20代の頃は、恋愛は楽しくとも、「生活」という意味では破綻していた。