伊勢志摩サミット開催で注目されて…
そして、2016年5月のサミット(G7首脳会議)により、ふたたび“売春島”が注目されたことで、機が熟す。
“売春島”は、サミット会場になった賢島にほど近い位置にある。それにより複数の雑誌媒体などが“売春島”とサミットを関連させ、いまだ売春産業が続くこの島の現状をルポし、それと同時に行政側の隠蔽体質を浮き彫りにした。
しかし、それらの報道は、当事者たちを置き去りにした問題提起に過ぎなかった。僕が8年前から数回に亘ってこの島をルポしてきたように、年々疲弊する島の現状を伝える。観光業を全面に押し出しクリーン化を進める流れと、対極にある売春産業、その光と影の上澄みだけを掬い取り“過渡期”と論じる。それ以上でも、以下でもなかったのだ。
これが僕を突き動かした。
“売春島”では今も公然と売春が行われており、これは許されるものではないだろう。しかし、僕は売春産業に関わる者たちに触れ、なぜ公然と売春が続いてきたのかを知りたいと思った。“売春島”の成り立ちはもちろん、観光業に転じた経緯、そして凋落した現在に至るまで。過渡期と論じるだけでなく、内側に入り込み、自らの目でその状況を確かめ、当事者たちに真実と本音を聞いてみたいと思ったのだ。
「そんなリスクを冒してまで売り飛ばしたくない」
――そして、2016年12月。僕は“売春島”の取材を始めた。
そもそも“売春島”は、なぜ娼婦が売られてくる島になったのだろうか。
その暗部を紐解くには置屋経営者やブローカーなどに話を聞かなければ始まらない。まずは旧知の仲の、ベテランスカウトマン・宮下(仮名)を頼った。
「昔は沖縄・真栄原のちょんの間や長野県上山田温泉の本番コンパニオンに女を入れ込んだことがあるけど、俺のようなグレー系のスカウトでも売春島はないね」
東京・渋谷を根城とし、どんな女でもカネに換えることで“ブス専門の沈め屋”としてその名を業界に轟かせていた宮下でも売り飛ばした経験はないと言う。
「売春島はスカウトマンが介入できないんですか」
宮下は言った。
「そもそも俺らがスカウトして風俗に流すのは、楽に稼ぎたいだけでそれほど覚悟がない、ともすれば逃げるような女なの。真栄原のちょんの間に売り飛ばした女は、ホスト狂いで200万のツケがあった。それで長年、仕事をするなかで知り合った、半グレのブローカーを頼って、そのブローカーはヤクザに引き渡したらしいんだけど、それもツレだった担当ホストから、『なんとかカネにしてくれ』と頼まれ、仕方なく。
俺らの実入りは成功報酬が基本で、あくまで女がある程度働いたらカネになる。そこにきて真栄原は、バンス(前借り金)ありきで女を売り飛ばすシステムなので、仮に女が逃げたら俺らの器量ではケツ(責任)が取れない。企業舎弟みたいな会社を通した上山田の案件にしても、必ず『一筆書いて』と言われる。だから、できればそんなリスクを冒してまで売り飛ばしたくないのが本音なんだよね」