1ページ目から読む
4/4ページ目
ネットが「なくてもいいもの」だった社会
ところで最近では、携帯電話の料金プランが政治問題化している。今年に入って大手3社の“格安プラン”が出揃ったが、過去数年間、総務省の肝いりで「ケータイ値下げ」に向けた制度設計が進められてきた。「格安スマホ」や楽天モバイルの参入も、この国策に沿ったものである。
翻ってナローバンド時代には、NTTからの数万円の請求にしても、回線の大渋滞にしても、ネットユーザーの昼夜逆転にしても、「社会問題」の俎上には載らなかった。
あの頃のインターネットは、社会にとって「なくてもいいもの」の扱いだったということになる。
「なくてはならないもの」になった今のネット環境からみると…
テレワークが当たり前になりつつある今日、ネットワークは最重要インフラであり、「なくてはならないもの」の筆頭にまで躍り出た。
いまや「インターネットに接続している」という状態は日常そのものであり、緊張感はまったくない。ガラケー時代に「パケ死」が問題化したおかげで、携帯電話でも定額プランが当たり前になり、請求書に怯えることもなくなった。
ネットユーザー側の変化で言えば、各種SNSの流行を受け、以前ほど「匿名志向」ではなくなってきた。オンライン空間で出会うのは、身近なものの写真を撮ってアップロードするような、生身の人間ばかりになった。
しかし罪深いテレホーダイには、そこにしかなかった思い出がある。深夜2時のチャットルームで味わった、肉体を捨て去ってしまうようなサイバー感覚は、現代のYouTubeやインスタグラムにはないものだ。
これに関しては、「インターネット老人会」の諸兄にも共感していただけるのではないかと思う。