「得体のしれない人」ばかりだった“深夜の仮面舞踏会”
ナローバンド当時はまだデジタルカメラが普及しておらず、「前略プロフィール」や「インスタグラム」のように、若者が写真を交換し合うサイトもなかった。したがってインターネットで出会う相手は、文章表現で自分を装飾する「得体のしれない人」ばかりだった。
しかし、フェイス・トゥ・フェイスではないコミュニケーションには、それ独特の魅力がある。1999年、当時13歳だった筆者も、身体の小ささを離れて、大人に混じって会話できるのが嬉しかった。深夜のテンションも相まって、「架空の自分」を演じる交流に、すっかり没入してしまった。
同年には匿名掲示板サイトの「2ちゃんねる」(2ch)もできた。2chには「夏厨」「冬厨」という言葉があり、これは学校の長期休みの間に低次元な書き込みが増えることを揶揄したネットスラングである。
当時のネットワークは、現代のSNSのように「スキマ時間」に楽しむものではなかった。夏休みや冬休みを利用してネットに入り浸るのが、中高生の特権だったのである。
そんなこんなで、中学1年の夏休みの間は、自分という人間が完全に「インターネット上の存在」に変わり果てていた。そういう狂った状態が、祖母宅の電話が通じないことに業を煮やした父親に殴られるまで続いていたように思う(ダイヤルアップ回線では、インターネット中に電話発信はできず、電話着信がある場合は、着信できなかったりネットが切れてしまったりしたのだ)。
テレホーダイの功罪
さて、テレホーダイが「良いサービス」だったかどうかを今日的に問い直せば、「悪いサービス」だったと言えるはずだ。
定額料金でネット接続ができること自体は革新的だったが、特定時間帯への需要集中とそれによるインフラの麻痺を招いた。そして何より、多くのユーザーを不健康な夜型生活に追い込んだ。
00年代を迎え常時接続が安価になると、テレホーダイは全国的に「過去の遺物」となった(サービス自体は現在も提供中)。“32時”に1日が終わるようないびつな時計に対応できる人間自体が、社会全体では圧倒的少数派だったことは論をまたない。