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《テレホーダイ25周年》ネットの世界が「健康と引き換え」だった90年代の“あのヤバいサービス”

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高すぎた勉強代

 卑近な話で恐縮だが、筆者も電話代での「爆死」を経験したことがある。1999年の7月、中学1年生だったときのことだ。この被害に遭ったのは、昭和一桁生まれで倹約家の祖母だった。

 小学生の頃から、長い休みや週末のたびに一人暮らしの祖母宅に遊びに行くのが恒例だったのだが、同年の春、祖母の書斎に当時最新鋭の「NEC バリュースター」が設置された。OSとしてWindows 98を搭載、本体に56kbpsのモデムを内蔵しており(当時としては十分だが、現代の1/1000未満の性能)、インターネットに接続できた。

 これを借りてBBSで出会った同世代の友人とチャットしたり、ゲームに興じたりしていたところ、アクセスポイントへの電話代とプロバイダの超過料金とで、5万円を越えるような請求書が来てしまった。

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 当然に家族会議が開かれ、5万円分とは言わないまでも、メタメタに叱責を受けた。だから現代の子どもたちがどれだけスマホ中毒でも、同情してしまって責める気にならない。

移動中でも、スマホを触っているとあっという間に時間がたってしまうことも少なくない ©️iStock.com

 その後、チャット仲間からのアドバイスを受け、祖母を説得し「テレホーダイ」を契約した。1999年のネットユーザーにとって、テレホーダイは常識だったのである。

ネット接続は23時から

 最近では「一時ネットが不通に」といった程度のことでもニュースになる。2020年11月25日には、AWS(Amazon Web Service)のサーバーダウンに伴い、複数のWebサービスが機能を停止。関係各所からは悲鳴が挙がった。

 それに比べて、ナローバンド時代はおおらかなものだった。23時からの9時間は「テレホタイム」と称されていたが、その時間帯になるやネットワークは輻輳してパンク状態になり、アクセスポイントに接続することさえままならなかった。

実はいまも存在するテレホーダイ(NTT東日本HPより)

 テレホが常識だったために、IRC(チャットルーム)やICQ(メッセンジャーソフト)にチャット仲間が集まるのは、決まって深夜の23時台だった。チャット以外にも、画像や動画やフリーゲームを「Iria」でダウンロードしたり、見知らぬ人とオンラインゲーム「東風荘」で麻雀勝負をしたりと、テレホタイムはまさしく夢の時間。ディスプレイの右下に表示される時刻を見つめつつ、「早く23時になれ」と願っていたのも懐かしい。

 いっぽう、深夜にパソコンにのめりこむ孫を見て、祖母はいつも不安げだった。5万円の件も合わせ、申し訳ないことをしたと今になって思う。