30歳で役を得た『冬のライオン』以来、出演した映画はおよそ80本。その豊かなフィルモグラフィーの中でも、アンソニー・ホプキンスが「最高にお気に入り」と誇るのが、83歳の今、公開を迎える『ファーザー』だ。

 フランスの演出家で劇作家のフロリアン・ゼレールが自らの戯曲を映画化した今作でホプキンスが演じるのは、認知症を抱えた高齢男性。

アンソニー・ホプキンス

「私たちはみんな、若く、希望に満ちているところから始まる。だが、終わりに差しかかると、いろいろなところが崩壊し始め、多くを失い、再び子供に戻る。そして最後は塵となり、元の場所に帰っていくんだ。明るくはなくても、深く、意味のあるメッセージ。人生は大変なんだよ。誰にとっても、生き続けるだけでバトルなんだ」

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 ホプキンスが語るとおり、『ファーザー』は、年老いた人が、いかに弱く、儚くなっていくことがあるのかを、人間的な優しい目で見つめる傑作だ。認知症を本人の立場から体験させるというアプローチのせいで、観客はかなり混乱するが、それも意図的。そうやって静かに展開するストーリーの最後には、衝撃的かつ感動的なクライマックスが待っている。演技派中の演技派であるホプキンスですら、そのシーンは「決して容易ではなかった」そうだが、彼が演じるアンソニー(偶然にもホプキンスと同じ名前だ)が大切にしている娘たちとの写真が手助けになった。テイクの合間にそれを見たことで、心は亡き自分の父へと戻っていったのである。

「父の老眼鏡、愛用したペン、メモ帳、アメリカの地図などを見て、私は本当に悲しく感じたものだ。父の夢は、どれも果たせなかった。全部、埃となって消えてしまった。父の心臓が止まったとたんに。私たちは、あちらに何も持っていけないんだよ。死んだら、物には何の意味もなくなる。逝ってしまったら、それまで。父が亡くなった時、私は、そういうことに気づいた。人生には終わりがあるのだということに。この年齢になると、そのことにむしろ安らぎを覚えるけれどね。私たちの努力は、ある日、終わりを迎えるんだ。もう努力をしなくて良くなる」

 娘を演じるオリヴィア・コールマンは、完成作を初めて見た時、彼がそんな思いを集約して演じたそのシーンを見て、涙が止まらなかったという。その熱演は彼女以外にも多くの人の心を動かし、ホプキンスは今作でキャリア6度目のアカデミー賞候補入りを果たした。そのような形で評価されることは素直に嬉しいと、ホプキンス。

「何も期待せず、すべてを受け入れる。そうやって生きていれば、がっかりすることはない。今作の撮影は楽しかった。映画を観た人たちも映画を気に入ってくれた。それで十分だ」

 それに、ホプキンスにとっては、映画だけが生き甲斐ではないのだ。ピアノも弾けば作曲もし、絵も描く彼は、最近、フレグランスのコレクションも展開しているのである。それらの作品や愛猫といる姿をソーシャルメディアで紹介し、ファンとつながるのも好きだ。

「自分に芸術の才能があるとは思わない。いや、全然ないと思っている。音楽は好きだからやっているだけだし、絵は、私が遊びで描いたものを見た妻に、もっとやるべきだと言われたんだ。それで勝手に描くようになったら、驚いたことに、買いたいという人がいるんだよ。ヘイトがあり、人々がいがみあっている時代だけに、私は人々に希望を与えたい。だから私は、ソーシャルメディアで明るいメッセージを送る。楽しもうよ、笑おうよ、どうせこの世の中に長くいられないんだから、と」

 スクリーンの外でも、この人の言葉は心に響く。

Anthony Hopkins/1937年ウェールズ生まれ。『羊たちの沈黙』でアカデミー賞主演男優賞を受賞。代表作に『日の名残り』『ニクソン』『2人のローマ教皇』などがある。監督、プロデュース、作曲を務めた作品もある。

INFORMATION

映画『ファーザー』
https://thefather.jp/