“生理的欲求”は、人の最も基本的なものであり、食べ物、酸素、睡眠などへの欲求です。食べ物がなく生きるか死ぬかといった状態では、何かに頑張りたい気持ちは出てきません。次の“安全の欲求”は、例えば小さな子どもが、母親が自分を見守ってくれていることを確かめながら見知らぬ周囲の世界を探索しはじめる様子を想像してください。もし、急に母親の姿が見えなくなると、不安になって周囲を探索しなくなってしまいます。つまり安全が保証されず、危険にさらされていて不安な状態(例えばいくら食べ物があっても住む家がなく野宿している状態など)だと、やはり頑張りたい気持ちも出てこないのです。
次の“社会的欲求/所属と愛の欲求”は、自分のいる集団の中で一つの位置を占めたいと感じ、その集団の中の人間関係において信頼で結ばれた愛情を欲することです。もしいくら食べ物があって住む家があっても、愛情もなくそこの住民の一員とみなされない状態では、やはり頑張りたい気持ちは出てこないのです。
「勉強のやる気がない」は虐待のサインかも
最後に“承認の欲求”ですが、これは他者から尊敬されたい、認められたいといった欲求を指します。たとえある集団の一員として生活していても、いつまでたっても尊敬されない、認めてもらえなければ頑張ろうという気持ちもなかなか湧いてきません。
もし、ここである子どもが養育者から虐待など不適切な養育を受けていれば、“生理的欲求”“安全の欲求”“社会的欲求/所属と愛の欲求”“承認の欲求”の4つの欲求がどこかで、もしくは複数で満たされていない可能性があります。食事を与えられない、暴力を振るわれる、無視される、言葉の暴力を受ける、などがあれば、それは頑張ろうという以前の問題であり、やはり頑張れない状態になってしまうのです。
これらの背景が透けて見えるケースは学校でもよく聞きます。学校コンサルテーションなどで先生方から、気になる子どもたちについて、「この子は家庭の様子が分かりません」「ひょっとしたら虐待のようなことも心配されます」と話されることがよくあります。同時に、そうした生徒について、「学校で勉強のやる気がないんです。どうやってやる気を出させたらいいでしょうか?」といった質問がなされることもあります。この質問に対しては、私から「もし先生が、食べ物が全くないとか、家が火事になって住むところがないような状態だとしたら、仕事を頑張れますか?」とお聞きします。すると、そこでやっと、子どもの勉強のやる気についても同様だと分かってもらえます。
勉強のやる気がない、ということ自体が虐待の一つのサインであったりしますので、そういったケースは特に注意が必要です。つまり勉強のやる気がない子、頑張れない子がいれば、その背景にひょっとしたら虐待や養育環境の課題がないかの確認も必要になってくるのです。