違法薬物の使用は、逮捕される「犯罪」であると同時に、医療機関や相談機関を利用することで回復可能な「病気」でもある。裏を返すと、適切な対応をとらなければ、薬物への依存から抜け出すのは困難ということだ。その他の事件と比較した際の、再犯率の高さは広く知られているだろう。
だからこそ、薬物問題から回復した人物の証言には意義があるのではないだろうか。ここでは、かつて違法薬物の売人であった倉垣弘志氏が薬物売買の内幕、そして逮捕から更生までを綴った『薬物売人』(幻冬舎新書)の一部を抜粋。逮捕の瞬間のエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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近づく刑事たちの気配
阪急豊中駅に着くと、俺のダンススタジオがあるビルは目の前だ。電車からホームに降りて歩き出すが、すぐそこにあるビルまでの距離がとても長く感じられた。刑事たちは、駅周辺やビルの周りに張り込み、俺が現れるのを待っているはずだ。俺は、覚悟を決めてビルまで歩いて行った。無事ビルに着き、階段で3階まで上がると、ドアの鍵を開けてスタジオの中に入った。自然に止まっていた呼吸を、フーっという安堵の溜息と共に開始した。
午前10時、約束の時間に内装業者の兄ちゃんが現れた。簡単な打ち合わせをして、スピーカーを置く棚などを作って設置してもらうことになった。俺は静かなスタジオの中で、まるで死刑執行を待つ囚人のように、椅子に座って、音楽を聴きながらその時を待った。今から豊中警察署に出頭してやろうかと思うぐらい、待っている時間は落ち着かなかった。刑事の尾行や張り込みが俺の思い違いで、間違いであってくれたら良いと思うが、その可能性は限りなくゼロに近い。その証拠に、さっき駅からビルまで歩いて来た道のりに、イヤホンを付けた怪しい者を数人確認していた。あれはおそらく刑事だ。このスタジオは仲間たちに任せるしかない。もし、俺に何かあればスタジオを頼むとソバ(編集部注:筆者の友人)には言ってある。
気がつくと、昼前になっていた。作業をしている内装業者の兄ちゃんと自分の分の弁当を買いに行こうと、駅前のスーパーに向かった。外の様子が気になっていたし、こんな状況にもかかわらず腹が減っていた。ボリュームのある弁当二つと、ペットボトルのお茶を2本買って、戻る。ビルの前に着いたところを、いきなり前後左右から刑事に詰め寄られ、俺は御用になった。