編集を変えていった背景
――編集を変えていったのは、大学の指導教官である篠崎誠さんからのアドバイスも大きかったんでしょうか。
石田 そうですね。これが初めての長編作品ということもあって、最初に編集したバージョンは、自分が使いたい言葉を短く並べた形になっていました。篠崎さんには、インタビューを短く並べるのでなく、ある程度のまとまりにして見せていくことなど、さまざまなアドバイスをもらいました。それと、篠崎さんはいくつかの撮影現場に立ち会ってもらい、カメラを回してくれました。大学の保健室後に自分の本音をぶつけるシーン。あそこで、僕は制作スタッフの二人に「『がんばってるね』って人に言われることが、あんまり嬉しくない」と話すのですが、篠崎さんは、その姿を正面から撮っていました。撮影―編集と、あらゆる部分で、影響を受けたと思います。
――インタビューをした方々はどういうふうに選ばれていったんですか。
石田 佐沢さんは、大学の日本手話の講師で、あるとき、しょうがい学生支援室のイベントで講師としていらしていて出会いました。その後、佐沢さんが出演されていた映画『LISTEN リッスン』(16)を観たりして、ろう者の考えをどうパフォーマンスにするのか、ぜひ話を聞いてみたいと思い、インタビューをしました。美月さんと鈴木橙輔(だいすけ)さんとは、僕が所属していた、ボランティアサークル「バリアフリー映画上映会」で知り合いました。お二人はサークルで、音声ガイドの台本制作や当日に会場で、生音読されるナレーションの指導をしていました。話を聞いていると、劇団を立ち上げていて、演劇や朗読会を主催されていることを知り、関心を持ちました。
砂連尾さんは、僕がちょうど『しょうがいに向かって』を撮ろうとしていた年に、映像身体学科に着任されたんです。この映画にも一部映っていますが、砂連尾さんが演出した、車椅子ユーザーの方がパフォーマンスをしている映像を最初に見させてもらい、おもしろいことをされているなと思いました。その後、授業も見学させてもらったんですが、これがまた、とてもおもしろくて。今まで経験した、体育の授業での身体の使い方とは別物でした。それで、ますます興味を持って、インタビューを依頼しました。