本多監督がこだわったコングに捕まった美女の“悲鳴”
一方、本編監督の本多猪四郎さんは、戦前の海外特撮映画の大スターでゴジラの大先輩にあたるキングコングを演出するにあたり、1933年公開の元祖『キング・コング』のフィルムを取り寄せ、事前に何度も鑑賞を重ねて研究した。その結果、“美女の悲鳴”が演出上の要になると感じた本多監督は、ヒロインの浜美枝さんがコングに捕まって悲鳴をあげるシーンの演出に特に力を注いだ。本多監督の熱心な演技指導に引っ張られた浜さんは喉を嗄らす熱演を披露。本家に勝るとも劣らぬ“美女の悲鳴”を世界中の観客にお届けすることとなった。
後年、「浜君には申し訳ないことをした」と思った本多監督は、『キングコング対ゴジラ』の約4年後に再び『キングコングの逆襲』(公開は’67年)を監督するチャンスに恵まれた際、今度は浜さんを、前回と真逆の“コングを捕まえる某国の女性スパイ”役でキャスティング。「コングにリベンジしてもらった」と生前、語っていた。そのとき、内心では「それは浜さんがコングにリベンジしたことになるのでしょうか……!?」と思ったが、本多監督の満面の笑みに圧倒されて何も言えず……。それも今となっては非常に貴重で大切な想い出となった。
円谷監督がアクションで参考にした、力道山のプロレス
最大の見せ場となるゴジラとキングコングのバトルは、ほとんど円谷監督がアクションを付けていた。何せ『キング・コング』を観て特撮を志しただけに、その喜びよう熱の入れようはハンパなかったという。今では殺陣師やアクション監督が付けるものだが、当時の怪獣映画にはそんな考え方やポジションがなく、特技監督であるはずの円谷監督自らが指導。その際、自分がカメラマンをしていた往年の大俳優・長谷川一夫の時代劇の殺陣や当時TVで大ヒットしていた力道山のプロレスを参考にしたという。つまりゴジラとコングのバトルは、戦後一時封印されていた時代劇の復権であり、力道山とシャープ兄弟、あるいはルー・テーズとのプロレスバトルの、ゴジラとキングコングによるスクリーン上での再現だったのだ。
そんなそこはかとなく漂う“戦後感”に思いを馳せるのも、オリジナル『キングコング対ゴジラ』を楽しむ醍醐味のひとつかもしれない。
もしこの原稿を読み、映画を観て興味がわいたらオリジナルの『キングコング対ゴジラ』も観ていただきたい。そこには、日本が敗戦から起ち直った新しい生命の息吹が満ち溢れている。それを天国の円谷・本多両監督も願っているに違いない。