「生前葬イベント」で配った名刺を受け取った客に幸運が
ショータイムで舞台にあがり、客席から笑いがおきると人一倍楽屋で喜んでいた。店が盛り上がるためなら“ヨゴレ役”もいとわなかった。
「ババ子はいつも全力投球でした。以前、イベントでババ子の生前葬をやったことがあったんです。棺桶にババ子が入っていて、別のオカマが般若心経を唱えて、終わるとババ子が蘇る――そんなコミカルなショーはお客さんにとても好評でした。そのときには記念に100枚、遺影の写真が刷られた名刺をつくってお客さんに配ったのですが、もらったお客さんには幸運なことが続いて。あるお客さんは1億円の宝くじが当たったんだそうです。ババ子も自分のことのように喜んでいました」(店長)
席につくと、必ず客に「折り鶴」を渡していたババ子さん。鶴を開くと自身の電話番号が書かれていた。暇なときには、「いつも鶴を折っていた」と同僚のキャストたちが証言する。
「普段は口下手で寡黙な人。一人身で寂しかったんだと思う。息子さんとは一度、大学生になったときに歌舞伎町で食事をしたそうです。ただ、そのときのことは詳しく語ろうとしませんでした。以来、家族とは完全に縁が切れてしまったようですが、家族との写真は大切にアルバムにいれて保管されていました」(店長)
持病が悪化し店に出ることが困難になった今年1月末、ババ子さんは千葉県内の老人ホームに入所した。ホームや病院でも人気者だったババ子さんだが、家族とは最後まで連絡がつかず、看取ってもらうことはできなかった。葬儀は店長と老人ホームの職員数名でおこなわれたという。
「ババ子は幸せだった。自分を偽ることなく死んでいけたんだから」
ババ子さんと親しかった前出のキャストが嘆く。
「我々、オカマ業界の人はどうしても寂しい最期を迎えることが多い。だからこそ生きているあいだは店で楽しく飲んじゃうのかな…。ババ子は幸せだった。自分を偽ることなく死んでいけたんだから」
「お別れ会」では皆がババ子さんとの思い出を語り、店内はあちこちで笑い声が響いていた。たくさんの笑い声に包まれ、大好きだった「嵐」から供花が届いたババ子さん。きっと天国から祭壇を眺め、微笑んでいるに違いない。