日独伊三国防共協定と鬼退治
1930年代に入って国際的に孤立した国は日本とドイツだけではない。イタリアもまたエチオピア侵攻を機に国際社会からの反発を招いた。日独防共協定にイタリアも加わり、1937年11月6日、日独伊防共協定がローマで成立する。
表面上は急接近した3カ国だが、協定の内容は曖昧であり、日本の国民意識に限っていえば、相変わらず親英親米のままだった。だからこそ「啓蒙」が必要とされ、繰り返し「日独親善」や「日伊親善」が謳われた。
そんな時流に沿って、国家規模のイベントが営まれる。11月25日には日独伊三国から代表が出席し、「防共協定記念国民大会」が東京・後楽園スタヂアムで催された。大会自体は国際反共連盟内の防共協定記念会が運営し、その宣伝を兼ねた絵はがきが製作された。一機の飛行機が日独伊の国旗を靡かせて飛ぶ場面だ。
背景の「大日本帝国」地図を見ると、ロシア沿海州や中国沿海部までもがその勢力圏として描かれる。関連行事として、学術講演会(軍人会館)、音楽会(日比谷新音楽堂)、展覧会(髙島屋)、晩餐会(東京会館)を案内する。
防共協定記念国民大会の開催に合わせて「防共協定記念絵葉書」(3枚一組)も発行されている。そのタトウ(収納袋)には日独伊3人の子どもたちが描かれ、赤いコートを着た赤いオオカミに豆を投げて追い払う。ボロボロになった刃が落ち、オオカミは拾う間もない。外務省情報部の後援を得て報国漫画俱楽部が製作、11月25日に一組10銭で販売された。この俱楽部は軍に協力する目的から新聞紙上で活躍する漫画家らが組織した団体だ。
3枚の絵はがきはストーリー性がある。1枚目は火山から「赤化」という名のマグマが噴火し、手の形となって平和な「伊日独」の子どもたちに摑みかかろうとする。
しかし、2枚目にある3つの拳のように、日独伊が結束すれば赤い鬼「共産主義」は一撃で退治できる。そして、平和が訪れる。3枚目では、富士山の傍らから上る朝日(日本)、ハーケンクロイツの形をした鳥の群れ(ドイツ)、古代ローマの鷲紋章(イタリア)の三者が描かれる。
裏面にはそれぞれ作者の名前が記される。順に挙げると、児童漫画の作品を残した小泉紫郎(1910~1990)、読売新聞で政治漫画を発表し続けた近藤日出造(1908~1979)、東京日日新聞などで漫画記者として活躍した宍戸左行(1888~1969)となる。
日独伊防共協定を描いた絵はがきは名指しで一国(ソ連)を敵視しているわけではない。あくまでも攻撃する対象は「赤化」や「共産主義」であって、その正体といえば実に曖昧だ。しかし太平洋戦争が始まると、漫画の表現パターンをそのまま踏襲し、鬼やオオカミ、マグマとして描かれる対象が「英国」や「米国」へと置き換えられていく。
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