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身近に感じた「災害の悲惨さ」

――周りで被災された方もいらっしゃいますか?

島田 一時、小学校の恩師と連絡が取れませんでした。「島田晴香」という人間の人格を作ってくれた、すごく尊敬している先生なのですが、お住まいが伊豆山で。先生の家が流されたと聞き、すぐに携帯に電話しても繋がらなくて。2日間くらい、避難所などを探しました。

 幸い、奥様のご実家が熱海市内にあったそうで、そこに避難されていたというのを後で聞きました。ただ、私がよく行く伊豆山にあるお店の方とかは「大丈夫でした?」と聞くと「いや、4人流されちゃって…」というお話もしていて、災害の悲惨さを本当に身近に感じました。

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©文藝春秋/上田康太郎

クラウドファンティングをはじめた経緯は…

――今回、なぜクラウドファンディングをはじめたのでしょう?

島田 AKB時代に、東北の被災地支援に何度も行かせてもらった経験があって。やっぱり私自身が地元に対して「どうにかしたい」という気持ちがありました。被災された人が避難しているホテルにも行かせて頂いて、「いま、何が必要なんだろう?」と思ったのですが、被災者の方にそんなに気軽には話しかけられず…。「なんて声をかけたらいいんだろう」というのも私の中でありました。そこで、友人から災害ボランティアの経験が豊富な方を紹介してもらい、その方の助言に従いました。

©文藝春秋/上田康太郎

 最初はボランティアとして水を運んだりしていたんです。被災地が熱海側と湯河原側で分断されていて、湯河原側の方はおじいちゃん、おばあちゃんが多く、給水地まで水を取りに来るのも難しいっていうので。でもそこで気づいたのが、タイミングよく必要な物だけが届くわけではないんですよね。全国の皆さんが市役所などに救援物資をたくさん送ってくださり、ありがたかったのですが、食べ物などは冷蔵保存しないといけないものも多く、かといって冷蔵庫がそんなにあるわけでもない。運ぶのにも時間がかかる。一方で薬や生理用品は足りないということもあって、混乱することもありました。

左は災害直後、右は1カ月後の熱海市内 ©文藝春秋/上田康太郎

 そんな中で一番耳にしたのが、やっぱり「自分が住んでいたところに戻りたい」とか「またこの街に住みたい」という声です。その為には「やっぱりお金が必要だ!」ということで、クラウドファンディングを立ち上げました。もちろんお金が全てではないんですが、まずはとにかく熱海のためになることをやりたいという思いが強かったです。