「そこは一瞬の勝負ですね。十六小節ぐらい聴きゃあ……」
荒井由実、後の松任谷由実が中学時代に書いた曲を偶然に聞いた男が、まだ高校生の彼女に作曲家として契約したいと申し出る。その男、村井邦彦が今週の文春「阿川佐和子のこの人に会いたい」のゲストだ。
ユーミンを誕生させた男・村井邦彦
村井は「翼をください」などで知られる作曲家だが、ある伝説的な音楽会社の創立者でもある。きっかけは20代前半にして、後に世界的な大ヒットとなる楽曲の、日本での出版権を買ったことだった。
「『マイ・ウェイ』の出版権を買うんです。それでアルファミュージックという会社を作ることになって、後にユーミンやYMOがそこからデビューしていくんですけど……」
目利きの村井は17歳の荒井由実と契約し、彼女を売り出していく。最初は作詞・作曲した「ひこうき雲」などを、雪村いづみに歌ってもらう。しかし「ユーミンの新しい世界とはちょっと違った。それでユーミンに『自分で歌ったら』って話して、スタジオミュージシャンとして細野を中心としたメンバーに入ってもらいました」。
こうして、“シンガーソングライター”荒井由実が誕生する。
かの團伊玖磨までが絶賛した「ひこうき雲」
デビューアルバム「ひこうき雲」は音楽業界に衝撃を与えた。村井が「メロディもそうだし、和声が新しかったなあ。西洋的というか」という楽曲は、音楽業界から絶賛される。月刊文藝春秋に柳澤健が書いた「時代を創った女 松任谷由実」(2011年3月号掲載)から引けば、オペラや童謡の「ぞうさん」で知られる團伊玖磨が「過去の日本の作曲家がやろうとしてできなかった、べたべたしたものからの飛躍があったからです」。まさに音楽史的な事件と言わんばかりの評価だった。
こうした評判とは裏腹に、レコードはさっぱり売れなかった。これまた柳澤健の著書『1974年のサマークリスマス』から引けば、「アルバムを二枚作って、少女時代に書きためておいた詞のストックも尽きた。/ すでに自分はアマチュアではない。売れる作品を作らなくては生活していけない」、この時、まだ21歳である。
早熟の才能にまかせて一部に受けるものを作ることから、大衆をつかむ音楽を、すなわちプロフェッショナルになるとの決意である。