文春オンライン

「世話が必要じゃない人が…自分しか、いなかった」家族のケアで学校にも通えない…“子ども介護者”の知られざる実情

『子ども介護者 ヤングケアラーの現実と社会の壁』より #1

2021/10/11

genre : 読書

note

 介護保険制度の介護サービスを利用することによって、ケア負担は多少減ったかもしれない。しかし、楽になったという話はAさんからは出なかった。

 Aさんのぎりぎりの生活は続いた。介護サービスが来ている空き時間には、苦しい家計を助けるためアルバイトに出ており、自由になる時間や休む時間は相変わらずなかった。

 また、介護保険を使うことにより、ケアマネジャーとやりとりをし、介護サービスの利用を考え、管理するという役割も生じた。これらはAさんの仕事として追加された。

ADVERTISEMENT

 本来、20代という自分の人生を歩み始める時期であったが、そのタイミングに乗ることは到底できなかった。一度タイミングを逸すると、社会のメインストリームに戻ることが難しいという特徴が、この日本社会にはある。ケア経験が長期にわたってAさんの人生に影響を及ぼした理由のひとつには、ケア経験が重要なタイミングと重なっていたこともあげられよう。

 このような生活を続けるなかで、Aさんの体調に変化が生じた。まず、食べ物、固形物を飲み込むことができなくなった。Aさんは、理由はわからないが、おそらく精神的なものではないか、と話した。さらに、体重も減り、一番ひどいときは20キロ以上減ったという。

 Aさんが2人のケアを担うようになり、その約半年後、家庭での介護に限界があると自分たちも、ケアマネジャーも判断し、祖母は介護施設に入所することになった。

「これによって、ケアが楽になったのでは?」

 私はそう尋ねた。Aさんは答えにつまり、悩むような様子を見せた。

「それほどでも、ないです。楽になった……という感じは、ありませんでした」

 これがAさんの答えだった。

 理由を尋ねると、祖母のケアはなくなったが、母親の状態が悪化の一途をたどったため、楽になることはなかったそうだ。

自分だけが生きていて申し訳ない

 祖母は施設に入所した数年後に亡くなった。母親のケアはそれから10年以上続いた。Aさんが30代後半になったとき、母親が亡くなった。Aさんのケア生活は、このとき終わったことになる。

 母親や祖母が亡くなったときの気持ちを、Aさんはこのように話している。

「自分だけが、生きていて、申し訳ない」

©iStock.com

 ヤングケアラーのなかには、家族のケアが何らかの理由で終わった後、「介護ロス」のようなものを感じる者が少なくない。ぽっかりと心に穴が開き、自分のアイデンティティや人生の意義、目標が見いだせない、何もない自分に気づいた、どう生きていけばよいかわからなくなった等の話をよく聞く。

 物心ついたころから3人で力を合わせて生きてきて、10代の頃から母親と祖母を中心とした生活を送ってきたAさんの心に最後に残ったものは、安堵の気持ちでも解放感でもなかった。変わらぬ深い孤独と罪悪感に近いものだった。

【続きを読む】“普通の環境で育っていないからダメ人間なのではないか” 精神障害の親をサポートし続けた女性の“自分を否定し続けた日々”

「世話が必要じゃない人が…自分しか、いなかった」家族のケアで学校にも通えない…“子ども介護者”の知られざる実情

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー