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 Aさんの役割は、病院への付き添い、お弁当等食料の買い物、食事の準備だった。外出できる家族がいなかったため、外出しなければならないような用事は、自然とすべてAさんがするようになったという。祖母の体の清拭(入浴はできなかった)や着替えやトイレの介助も必要だった。これらは母親と協力して行っていた。

 このように祖母が要介護状態になったことをきっかけとして、Aさんのケア役割は増えた。しかし、Aさんが小学生の頃までは、母親がまだ動くことができたため、無理をしながらも、夜間の介助等、かなりのケアを担ってくれていた、とAさんは語った。そのおかげで、Aさんは小学校に行ったり、友人と遊ぶことはできていたとのことであった。

 中学校に入ると家事や身体介助等、Aさんのケアの分担が増えていき、学校を休む、遅刻することが増えていった。学校に十分に行くことができず、家では家族のケアのため、勉強をすることもできなかった。

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「勉強には……ついていけなく、なりました」

 さらに、中学時代の友人関係についてはこんなふうに話してくれた。

「学校に、あまり行けなかったから……。友達が、いなかったから……」

「本当に、寂しかった……寂しかったです」

 このように、ケア役割が増え、学校生活や友人関係にも影響が生じ、寂しさを抱えていたが、そのことを話せる相手はいなかったという。学校の先生には「言える雰囲気ではなかった」ため話すことはなく、関係が疎遠になっていった友人にも、深く話すことはできなかった。

ひとりきりであることの不安、重責

 高校は定時制高校に進学した。高校に入ってからも家事、祖母の介助、さらに買い物や通院介助など、外出しなければならない用事は全てAさんが担っていた。当然ながら高校でも遅刻、欠席が多くならざるを得ず、学校でも家庭でも、勉強するような状態にはなかった。無論、友人を作ることは難しかった。

 特に高校3年の頃が一番きつかったという。祖母が病気で入院し、ケアが一時不要になった。しかし、その後すぐ、心臓の弱かった母親が倒れて救急車で搬送された。母親は退院できたものの、全面的に介助が必要な状態になった。

 Aさんは、祖母のケアから母親のケアへと連続するわけだが、ヤングケアラーではこのようなことは決して珍しくない。その場合、ケア役割が切れ目なく続き、その影響は長期化する。

 しかも、母親が倒れたときからAさんは、ひとりで母親のケアを担うことになった。これまでは、祖母または母親と協力してケアをしてきたが、たったひとりでケアを、その責任を引き受けることになったのである。

 10代の高校生がひとりでケアの全て、すなわち自分と家族の生命と生活の全てを引き受ける、ということを想像できるだろうか。これは今までとは異なる次元のケア役割へと移行したと言える。Aさんの生活は、家族のケア一色に染まっていった。