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亡くなってホッとした気持ちが強かった

 興津朝江さん(当時78)は2016年9月上旬に転倒して、右膝と右肘をけがをし、整形外科に通っていた患者で、容体が急変しやすいほかの終末期医療の患者と異なっていた。興津さんが病院から無断で出ようとした際に、迎えにいった久保木被告は「再び脱院すると思った」「行方不明になったり、けがをすると自分が責められると思った」という。さらに「自分の勤務が迫っており、それまでに退院してほしくてやった」と身勝手な動機からヂアミトールを混入させたと話した。

久保木愛弓被告の自宅の家宅捜索に向かう捜査員ら ©️共同通信社

「(同年9月15日に)ナースステーションにあった点滴袋のゴム栓に注射器の針を刺し、吸い上げていたヂアミトールを入れました」

 翌日の9月16日に、この点滴を打たれた興津さんの容態は急変し、血尿を出して、苦しみながら絶命する。久保木被告は3日後に再び勤務先にやってきた時に興津さんが亡くなったことを知ったという。

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弁護人 「亡くなったことを聞いてどう思ったか」

久保木被告 「本当に申し訳ないのですが、そのときはほっとしたという気持ちの方が大きかった」

 興津さんの死後も、久保木被告の殺人行為は止まらなかった。興津さんの死を知った9月18日には、西川惣蔵さん(当時88)の容態が悪くなり、「夜勤中に亡くなってしまうのではないか」と不安になったという。

 久保木被告は西川さんの個室に行き「血圧測りますね」と声をかけ、血圧を測った上で、西川さんに「気持ちよく過ごしてほしい」との思いから、シーツをきれいに整えたという。しかし、一方で、躊躇せずに、ヂアミトールを点滴に混入させた。早く効かせるために、ワンショットで接続部から注入したと説明した。