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都会的ポップスは「ロックじゃない」と批判された時代

 山下達郎はそのインタビューの中で、「筒美京平さんというのは日本の歌謡曲というもののトップだったから、我々日本のフォーク/ロックと言われる人間にとっては、ずいぶん長いこと一種の仮想敵という存在としてあったと思うんです」と、70年代当時の状況について語っている。彼が初めて筒美京平に会ったのは、75年に太田裕美のレコーディングでコーラスに呼ばれた時で「なんか敵陣に乗り込むっていう感じで(笑)」とも明かしている。

 1970年代のはじめっていうのは、日本のフォークやロックは、さっきも言ったように政治性とかなり密着してるから、かなりのエクスキューズを伴いながら音楽をやらなきゃならない時代だったわけですよ。そうすると「これはロックだ」とか「これはロックじゃない」とか、たとえば桑名くんが筒美さんの曲を歌ったら「裏切った」だとか、そういうことを毎日のように言われて言い合ってね。

 まあ今でもありますけど、それがすごくイヤだったんですよ。だけど音楽をやる行為そのものはクラシックからアイドル歌謡までなにも変わらないんじゃないかっていうのは、それは大瀧さんに教えてもらった部分もあるんだけど、でも、そういうところは昔からあるんですよね。音楽に罪はないって。

 シュガー・ベイブが当時のロックコンサートで「軟弱」と攻撃されていたことを知る人たちはもう多くないだろう。彼らがやろうとしていた都会的なポップスは「ロックじゃない」という教条的なロックファンの批判にさらされていた。筒美京平への彼の意識は、シュガー・ベイブを批判する“こっち側”の人たちに対してより近しいものがあったのではないだろうか。元来は同じような音楽に影響され、同じような音楽を志しているにもかかわらず相いれなかった不幸な時代の二つの岸辺に「言葉」の橋を架けていったのが松本隆だった。

写真はイメージです ©iStock.com

「あ、硝子だと思った。壊れそうで美しくて無垢なもの」

 KinKi Kidsの「硝子の少年」の発売当時のさまざまな記事には、当初からの「ミリオンヒット」という要望や事務所からのOKがなかなか出なかったことなどが書かれている。

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 松本は当時のことをこう語ってくれた。

「でも、『硝子の少年』ができてからはどこもいじってないと思うよ。それまでに書いた『Kissからはじまるミステリー』と『ジェットコースター・ロマンス』が何度もバツを食らっていたから間口が狭くなって、どういう詞ならOKか分からなくなってたのね。2、3時間書けなくて煮詰まって居間に降りて行ったらたまたま二人が歌ってて、それを見た時に、あ、硝子だと思った。壊れそうで美しくて無垢なもの。ただ、ジャニーズには『ガラスの十代』とか『ガラス』という曲があることはあるんで、どうなんだろうとは思ったけどピンときたものはきたものなんでとりあえず提出してみたら、すんなりとOKになった」