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《直木賞受賞》30歳の時、ダンス講師を“決意の辞職”…今村翔吾(37)に小説家になる決意をさせた「教え子の言葉」

『塞王の楯』直木賞受賞インタビュー

2022/01/21
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――鉄砲のほうの事前取材はどうでしたか。

今村 鉄砲は愛玩品として生き残っていますし資料もめっちゃありました。資料館にも行きましたし、模造火縄銃を買って研究したりもできました。

 石垣も残ってはいるけれど、中が見れないんですよ。熊本地震の時に城の石垣が崩れて、はじめていろんなことが分かりましたよね。僕も書きましたが、扇状の勾配の石垣は、鉄砲を跳ね返すかえしの意味もあるんですけれど、横揺れの地震に対して揺れを逃がす効果があるらしい、とか。

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©文藝春秋

武将が脇役でも「最後はめちゃくちゃダイナミック」

――穴太衆も国友衆も、職人としての矜持は同じですよね。

今村 読者の方が僕の小説を一言で言うと、だいたい「熱い」とか「躍動」みたいな言葉になるんですよね。だから粛々とした職人の世界と僕の小説は相性が悪いんちゃうかとも思ったんです。でも、戦争中にも石垣を直すという話を知った時に、僕のスタイルと職人を掛け合わせたら、すごいことが書けるんちゃうかなというのがありました。よく、職人が主役で武将が脇役の小説ですけど、最後はめちゃくちゃダイナミックになります、って言っています。職人が主人公でこんなに盛り上がる? ぐらいまで行きたいなと思って書いたんです。

――大津城主の京極高次と妻のお初も印象に残ります。高次は身内の女性のコネで出世したと馬鹿にされていましたが、親しみを感じました。

今村 これは『じんかん』を書いた時に培った能力が大きいと思います。僕は松永久秀の弁護人のつもりで『じんかん』を書いたんです。といっても勝手にフィクションを作って善人にするんじゃなくて、やったことについてはその時の状況を書き、やってないことは除いて証言してあげるという感じでした。京極高次も、確かに武将としては評価されていないけど、実はそうでもないんですよ。むしろ立花宗茂という、戦国武将の中でも一二を争う規格外の武将を相手にあれだけ耐えたという事実がある。しかも「自分は降伏する」と言ったら、家臣が全員で止めたという記述もある。じゃあ彼はなぜ前半生、あそこまで逃げ回ったのか。こうなんじゃないか、ああなんじゃないかと考えているうちに、どんどん魅力的に見えてきました。それに肖像画を見ると、悪人に思えないんですよ。むっちゃ丸顔で、ゆるキャラみたいな顔してて、全然強そうに見えへんから(笑)。

©文藝春秋

――彼も含めて、まさに、対決の話ではあるけれど、対決をどう終わらせるかの話になりましたね。

今村 人は有史の中で何回も戦争をして、そのたびに戦争を終わらせてきた。なぜ人は戦争を終わらせることができたか。はっきりした答えはないんですけれど、僕自身、それを見つけたかったし、読む人にも見つけてほしいという思いがあったので書きました。

 今回これで直木賞を獲りましたが、また新たな目標を作って、よりよい作品を書いていきたいです。

「本屋の店主」という顔も持つ

――たいへんお忙しいなか、昨年は大阪・箕面市の「きのしたブックセンター」の店主になったそうですね。それはどういう経緯だったのでしょうか。

今村 友達から「経営が難しくなった書店がある」という話をもちかけられたんです。最初は「作家と書店は同じ業界とはいえ全然違うから」と言ってんけど、その地域に徒歩圏内に書店がなくなると聞いて、一回会うだけ会ってみることにして。それまでお店の人と面識もないし、地縁もなかった。僕、関西の全行政区に行ってるのに、なぜか箕面だけ行ったことなかったんです。

 ほんで、書店の中を見てたら、おばあちゃんと小学生の女の子が絵本を買っていて。この書店がなくなったらこの女の子が大人になった時に思い出の店がなくなるのかなと思って。それでも迷っててんけど、スタッフたちもすごい背中を押してくれたから、やってみようとなりました。僕も月2回くらい行っています。明後日も行きますよ。とりあえず大量のサイン本を作らなあかんから(笑)。

撮影=松本輝一/文藝春秋

塞王の楯 (集英社文芸単行本)

今村翔吾

集英社

2021年10月26日 発売

《直木賞受賞》30歳の時、ダンス講師を“決意の辞職”…今村翔吾(37)に小説家になる決意をさせた「教え子の言葉」

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