――『塞王の楯』は石垣を作る石工の集団、穴太(あのう)衆と、鉄砲職人の国友衆の対決が描かれます。守る「楯」と攻める「矛」という対比が分かりやすかったです。今回これを書こうと思ったきっかけは。
今村 僕の場合、いつもテーマ性を先に決めるんです。現代が問題としていること、もしくは現代が欲していることは何なのかを先に探って、それを描くにはいつの時代のどこの話がいいのかを考えていく。
今回のきっかけは具体的に言うと、韓国のレーダー照射問題のニュースでした。その時にニュースの中で「専守防衛」という言葉が何度も出てきて、いろんな論調があった。それを見て、そもそもこういうことで戦いは始まってしまうんじゃないだろうかという怖さと疑問を感じたんです。過去の歴史を見ても、戦争って本当に不意のことで始まっている。でも今、何とか平和を享受させてもらっているのは、戦いを終わらせてきた人の歴史があるからなので、次はそれをテーマにして書きたいなと思いました。
それで考えるうち、「拮抗する力」みたいな言葉が浮かんできたんですよね。戦国時代に拮抗した力は何かというと、攻める側としては忍者系でも雑賀衆でもいっぱい浮かぶんです。一方で純粋に守りに特化したものは、滋賀県の穴太衆一択やったんですよね。それで、まず主人公は穴太衆にしよう、と。すると琵琶湖を挟んで対岸北部に日本の鉄砲の生産量第1位を誇った国友衆がいる。言うたら近江には人を殺す武器を作る集団と、人を守る石垣を作っている集団がいたんです。で、このふたつが激突した戦いを探ると、大津城しかなかった。「あ、また近江や」と思いました。最初から近江の国の小説を書こうと思っていたわけじゃないのですが、運命的なものを感じました。
穴太衆の下積みは10年かかる
――大津城は城も残っていませんし、穴太衆も敵側に知られないために技術はすべて口伝えで文字に残ってないそうですね。資料がほとんどなかったのでは。
今村 なかったです。大津城の堀に水が入ってたのか入ってないのかは、いまだに意見が分かれてるんですよね。僕は、客観的に見たら入ってない説のほうが強いんじゃないかと思いつつも、金沢城の堀と同じような技術を使ったら水が入っていた可能性はあると考えました。
穴太衆は今もいるんです。それが粟田建設さんで、今はお城の石垣の修復などをメインの仕事にされている。そこに飛び込んで話を聞きまくりました。
作品の中で書いた、彼らが塩で手を洗うというのは、現代の社長さんもやってはりました。おそらく手の感覚を研ぎ澄ますためだそうです。それに、「栗石10年」といって、小っちゃい石を並べる作業を10年やらないと本格的な石積みをさせてもらえないのも本当。社長さんもおじいさまに言われて8年か9年ぐらい石を並べるだけだったそうです。例えば、単純に石を積んでいくにしても絶対途中で齟齬が生まれるから、1段目からもう完成形を考えながら置いていかなくてはいけない。縦に置くのか横に置くのか裏向きに置くのかで違うと言うんやけど、そもそも石のどこが縦でどこが横やねんっていう話なんですよ。石同士の無限大の組み合わせがあって、それを肌感で学んでいくのに10年かかるというんです。