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ポスト近代の天皇制の問題

 21世紀、「国民」の輪郭さえ曖昧になっている。人びとのあり方は多様化・多元化し、「国民」という単一のアイデンティティーへの統合は難しくなった。そのようなときだからこそ、国民統合や公共性の最後の砦(とりで) である皇室に、人びとは期待してしまう。

 とくに1995年、阪神・淡路大震災やオウム真理教事件で日本の安心・安全が揺らいで以来、その傾向は顕著になる。経済分野の国際的な優位性は中国によって脅かされ、災害も続く。変化の時代には、変化の前の社会との連続性の感覚を求めるために、不変なもの、安定したものを人びとは欲する。不変と安定が求められるとき、皇室はその礎(いしずえ) になり得る。

 現代日本のなかで皇室は、伝統・正統性・ナショナリズムを感じるための重要なアイテムだ。21世紀への転換のころから、皇室への関心は高まっている。かつてのような平民性が強調されることより、権威性が重んじられることが多くなった。

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 眞子内親王の結婚に、「国民」の理解と納得が必要と考える人は少なくない。それは、皇室が国民統合の中心にないと、この国がバラバラになってしまう漠たる不安が存在するためだろう。

記者会見の後、2人は11月14日、ニューヨークに旅立った。 ©文藝春秋

 しかし、皇室に「国民」の総意が措定できたのは、国民国家の輪郭が明確であった大衆天皇制の時代までだ。21世紀の日本は、多様性の時代だからこそ、皇室という「たしかなもの」が逆に立ち上がる。ポスト近代の天皇制のパラドックスである。

 新聞やテレビなど主流メディアが主題的に報じることはないが、現実の皇室の家族はすでに多様化している。2014年に66歳で亡くなった桂宮宜仁(かつらのひとよしみや)親王に、事実婚の関係にあった女性がいたことは公然の秘密である。女性は宮家の私的職員の立場で、介護が必要な桂宮を長年支えた。

 三笠宮家を継承予定だった寛仁(ともひと) 親王はアルコール依存症のために信子妃との関係が悪化した。夫婦は2004年から一時期を除き別居状態にあった。2人の間の娘たちと信子妃との関係も悪くなり、寛仁親王の逝去(2012年)のあとも、信子妃は宮邸には戻らず、母と娘はなお断絶状態にある。

 三笠宮家に彬子(あきこ) 女王・瑶子(ようこ) 女王、高円宮家には承子(つぐこ) 女王という未婚の女性皇族が三人いる。2022年4月現在、それぞれ40歳、38歳、36歳である。とくに、彬子女王は英オックスフォード大学大学院で博士号を取得し、美術史の研究者として著書や論文を著すなどのキャリアを積んでいる。

 彬子女王が結婚を志向していないかどうかまではわからない。しかし、今後、非婚を宣言する皇族も現れるであろう。さらに、性的少数者であると周囲に伝える皇族が出てくる可能性もある。家族が多様化するなかで、結婚し子供をつくることが皇族の役割であった時代は終わっていく。

 かつて、家族の「理想」であった皇室は、いまは、人びとの「現実」の写し鏡である。事実婚、離婚の危機、非婚、晩婚、親子対立、不妊へのバッシング……。社会における家族のさまざまな問題が、現実の皇室でも実際に現れている。