――冷たい目を向けられるような。
蘭々 私が通っていた小学校には特別支援学級があって、そこにはさまざまな障害を抱えている子達がいて、時々普通学級の子が一緒に登下校するようなサポートもありました。
本当にさまざまな個性を持った子達で、ずっと独り言を言っている子、意思疎通が難しくて常に青っぱなが出ているんだけど、それを自分でどうすることもできない子、急にパニックになって暴れ出しちゃったりする子も。もちろん、とても優しい子もいました。一緒に登下校する中で、いろんな種類の視線を世間から感じたことを子供ながらに覚えています。
中学生の男子達が「うわー、きめー」とか言ってきたり、一見優しそうで理解ある大人かと思ってたけど、全然違ってがっかりしたりとか、そういうこともありました。
お兄さんが亡くなって感じた、罪悪感
――お兄様は、蘭々さんが18歳の時にお亡くなりに。
蘭々 家を出る最後の日に、「一人暮らしするから、もうこの家には帰ってこないからね」ってカーテン越しに兄に話しかけて、それが最後の会話となってしまいました。
兄はその時風邪を引いていて、部屋から出てくることはなく、「じゃあね、行くね」と言った私の言葉にだるそうな声で「うーん」と答えて。その2日後、天国に行っちゃいました。
家に誰もいない時に、あっという間に心臓麻痺みたいな感じで旅立っちゃったから、検視が入って。急いで実家に帰ったけど、物々しい雰囲気で人がたくさんいて家に入ることができなかった。あの時見た光景と抱いた感情は今も忘れません。
――実家を出ていく際の別れ方もあって、悔いが残りそうですよね。
蘭々 そうですね、その後本当にいろんなことを考えましたよ。生きるってなんなんだろう、結局お兄ちゃんの人生ってなんだったんだろう、とかね……。
とてつもなく悲しいと思う一方で、兄を馬鹿にした人達への怒りの念だったり、もっとこうすれば良かったのかな……と自分を責めたり、でも不自由なこの世界から抜け出してやっと楽になったんだよね、なんて自分を納得させてみたり、でもそれじゃあまるで死を肯定しているようで、そんなことを考えた自分にまた罪悪感を抱いたり。とめどなくいろんな気持ちがあふれてきました。
ただ、今でこそこんなふうに言葉でまとめたり、話したりできるようになりましたけど、当時はこんな心の声を誰かに言ったりはしませんでした。言い方もわからなかったし、そもそも言ってもしょうがないしね。
芸能活動をすることで、直すことができた「癖」
――蘭々さんは「あらゆる問題や悩みは、当事者が自分で引きつけているものだ」「他人の辛さや苦しみはわからない」と著書で書かれています。いまの「誰かに言ってもしょうがないしね」という言葉が、そこに非常にリンクすると思うのですが、こうしたマインドも以前から?
蘭々 たぶん(笑)。でも最近の私は、生きる時間って、何かを感じたり、何かに気づいたり、ただそれだけ、本当にただそれだけのためでしかないんじゃないのかな、なんて思ったりしています。だから、自分の過去に起こったことはすべて受け入れていて、全部いい感じで昇華されています。