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デビュー曲「泣かないぞェ」では「世の中すべてみんな 全部ウソツキ」と…鈴木蘭々(46)が振り返る、“20代の自分が達観しすぎていたワケ”

鈴木蘭々さんインタビュー #2

2022/05/08
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 90年代にブレイクし、アイドル、俳優、歌手として活躍した鈴木蘭々(46)。

 芸能生活30年超を誇る彼女に、筒美京平が作曲を手掛けたデビュー曲「泣かないぞェ」レコーディング時のエピソード、自身の生き方や考え方に影響を与えたという亡き兄、どこか生きづらさを感じていたなかで見出した生きやすさなどについて、話を聞いた。 (全2回の2回目/1回目を読む)

鈴木蘭々さん 

◆ ◆ ◆

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――やっぱり、1994年の『ポンキッキーズ』出演あたりからお忙しくなったのですか。2年半も休みがなかったと聞いてます。

鈴木蘭々(以下、蘭々) スタジオの灯りが、0時になっても落ちない時代だったんですね。だから、朝の4時に帰る日とかありました。

 でも、自分のなかで必ず6時に起きて、ルーティンをこなす生活をすると決めていたので。当時は、なんの苦でもなかったです。

――そんななかで、1995年に「泣かないぞェ」をリリースして、念願だった歌を。

蘭々 当時二人三脚だった社長も、私がそもそも歌をやりたかったことをちゃんと理解してくれていて、それなりに知名度が出てきたので満を持して、という感じでした。 

 ただ、想像以上に世間についていた私のバラエティー寄りのイメージが強すぎたせいなのか、思ったほど数字で結果を残すことはできませんでした。 

歌手デビュー当時の写真(WOORELL株式会社提供)

――そこまで歌へのこだわりを持っていた蘭々さんですが、音楽性へのこだわりみたいなものは当時あったのでしょうか。筒美京平さんが作曲をされていますが。

蘭々 ありました。当時の私はR&Bが好きだったし、高校時代は同級生の影響もあって洋楽漬けの日々だったので、そういう路線で行きたかったんですよね。 

 でもさまざまな大人達の意見もあった上に、当時は歌と言えばなんらかのタイアップとセットとなることが必須でしたし。そもそも私自身が作詞作曲するようなアーティストであったならまた話は変わっていたんでしょうけど、バラエティーアイドルでしたから。そこら辺のすり合わせがあってのデビュー曲だったんだと思います。 

 ただですね、2018年から歌手活動を再開して、JZ Brat SOUND OF TOKYOというジャズクラブでのライブで「泣かないぞェ」をアコースティックアレンジで歌ったんですが、メロディーがあまりにもよすぎて昭和のレジェンドの偉大さを知りました(笑)。 

 

 ヘタにアレンジを加えなくても曲の、歌詞の発する世界感がきちんと伝わるというか。むしろその方が良いと思うくらいに、メロディーそのものが濃い。

「泣かないぞェ」の「ェ」、なぜ?

――当時は「泣かないぞェ」というタイトルに若干の色物的なものも感じたりしましたが、「ェ」があるからこそ記憶にも残っています。この「ェ」も、筒美さんのアイデアだそうですね。

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