いま思い出してみると、確かにアナウンサーの名前をやたらとよく覚えていた。日テレだと金原二郎さん、NHKなら西沢祥平さんとか。テレビを見ていて、司会は誰だとかナレーションは誰だとか、やたらと覚えているんです。久米宏さんの『ぴったしカン・カン』もよく覚えていて、華々しいテレビの中で番組を華麗に捌いているアナウンサーに憧れたんでしょうね。それが潜在的に仕事選びにもつながったのかなと思います。
内定翌日にすれ違ったスター、テレビで見た先輩アナ…「とにかく私はミーハーだったんですね(笑)」
——つまりテレビっ子がそのままテレビ局に就職してアナウンサーになった、という。
福原 内定の知らせをいただいて、その次の日に当時まだ河田町にあったフジテレビに行ったんです。で、エレベーターが開いたら出てきたのが萩本欽一さんだったんですよ。オオ~ッと。子どもの頃から『欽ドン!』とかいろいろ見てきましたから。内定翌日、まず最初にすれ違ったスターです。
それで、「よし、こういうところで働くんだ、おもしろいことになりそうだ」と思いました。アナウンサーの皆さんに対してもこんな調子で、とにかく私はミーハーだったんですね(笑)。
——アナウンサーも当時は河野景子さんや八木亜希子さん、有賀さつきさんといった“売れっ子”がいましたよね。
福原 そう。先輩と後輩の関係になるわけですから。職場の名前のプレートを見ると、一番トップに露木茂さんがいて、年次順に並んで一番下に福原があるわけです。すごいなあと思って、そのネームボードを写真撮りましたから(笑)。
慌ただしくても「画面に映っているときは余裕がある」先輩たち
——当時のアナウンスルームでの思い出、何かありますか。
福原 須田哲夫さんがずっと午後3時の番組をやっていまして、僕が入社した頃は『タイム3』という番組でした。放送前に須田さんはずっと別のところで打ちあわせをしていて、3時10分前くらいに書類を抱えてアナウンス部に入ってくるんです。そしてネームプレートのところの打ちあわせ場所をさっと消して、「T3」と書いてすぐ出て行く。これがかっこ良かったんですよ。
で、番組も午後のワイドショーですからいろんなネタを扱うわけですが、ゲストの話を聞き出したり、時には鋭く切り返し、時にはうなずき、受け止めながら……というのをビシッと。「すごいな、こういうふうになりたいな」と思いましたね。