四十九日が終わるまで毎週… 少し独特な青ヶ島の法事
佐々木 青ヶ島には葬儀場がないので、遺族がすべての準備をしなければいけないんです。葬儀はもちろん自宅で行うし、参列者に出す料理もすべて自分たちで用意する必要があって。しかもそれを、四十九日が終わるまで毎週やらないといけない。だから、母の負担が重すぎると思ったんです……。もちろん、親戚や付き合いのある方も手伝ってくれますけどね。
当時、私は東京の会社で働いていて、法事のためとはいえ何度もお休みをもらうのは難しい状況でした。でも、「今は母の側にいないと後悔する」と思ったので、仕事を辞めて青ヶ島に戻る決断をしたんです。
ただ、実は父が亡くなる前から、いつかは青ヶ島との2拠点生活ができたらいいなと思っていた部分もありました。
電車内での喧嘩や駅員へのクレーム……都会暮らしの違和感
――どうして青ヶ島との2拠点生活を?
佐々木 東京の生活は楽しかったけど、電車通勤が辛くて……。満員電車で片道1時間くらい通勤する生活を送るなかで、「この生活をずっと続けられるのかな」って年々不安になっていったんですよね。
東京に来てから「人との距離感が島と全然違うな」と思うことがあったんです。本土は物理的な距離は近いのに、心の距離が遠い。電車で隣になった人のことも、駅員や店員のことも、“ただの他人”だと思い過ぎている。だから電車で喧嘩をしている人がいたり、少し電車が遅れただけで駅員さんにクレームを言っている人がいたり……。島ではみんな顔見知りなのでありえないですね。
――都会では当たり前になってしまっている光景ですね。
佐々木 一方で、苦手な人とは付き合いをやめられたり、1人の時間を楽しめたりする部分は本土の良さだと思います。
青ヶ島はとにかく人口が少ないので、「気が合わないから付き合いをやめる」ことはできないんです。居酒屋で大喧嘩しても、次の日には顔をあわせて仕事をしなきゃいけない。
でも運命共同体みたいなところがあるので、島ではひとりひとりの存在をすごく大切にしている。仕事をしている人の顔も見えるから、例えば「ここにゴミを捨てると◯◯さんが困るな」と想像できるんです。もし船が遅れたとしても、怒る人はいません。
――なぜそこまで島民の絆が強いのでしょうか?