脳梗塞のあと、劇的に変わった私たちの生活。もはや後戻りはできません。
それぞれの人生を生きていくしかないのです。涙と笑いの最終回!(全17回の17回目/#1#2#3#4#5#6#7#8#9#10#11#12#13#14#15#16#17より続く)

清水ちなみさん ©佐藤亘/文藝春秋

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 駅に近づくと、速足で歩く人たちの様子や、駅の発車ベルに圧倒されました。病気をする前よりも、はるかに大きく聞こえて驚きました。

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 ここだけの話ですが、いまでも、旦那がいきなり大きなくしゃみをすると、一日がすっ飛んでしまい、いきなり明日になったような感じがします。

 作業療法士の先生との散歩の途中、駅の近くの100円ショップで、鉛筆につけるゴムグリップを買いました。当時、私は慣れない左手で字を書いていましたが、グリップをつけると鉛筆を持つのが楽なのです。

 この時に左手で書く練習をたくさんしたので、いまでは右手でも左手でも文字が書けます。綺麗な文字ではありませんが、料理ノートも再び書けるようになりました。鉛筆につけるゴムグリップは私のお気に入りで、いまも愛用しています。

鉛筆につけるゴムグリップは今も愛用
清水さん手書きの料理ノート(発病後)。

 散歩の最後にはスターバックスで飲み物を買いました。「歩くのは好きだけど雑踏は苦手だな」という感覚はいまも変わりません。

 リハビリの先生方は皆さん優秀で、入院生活も後半になると、私はずいぶんとよくなり、ひとりでリハビリの部屋へ歩いていけるようになりました。上と下、右と左を区別することは、いまだに難しいのですが。

 けれども、リハビリ病院の先生はさすがにすべてをお見通しです。

「エレベーターに乗って、1階まで降りてみてくれない?」

 病室があるのは3階です。私は先生の予想通り、上りのエレベーターに乗りこんで4階に行ってしまいました。

リハビリ病院をようやく退院

 リハビリ病院を退院したのは、2010年4月16日のこと。当日は、午前中に旦那が迎えに来てくれました。病院の先生方や同室の患者さんたちにお礼を言い、車で病院の敷地を出た途端に、うれしさがこみ上げてきました。