「なんでもあり」が見世物小屋の伝統
Dr.エクアドル でも実は、一番体力を消耗するのは呼び込みと司会でしょう。壇上で見世物をする役者は、順番に出るので全体の5分の1しか仕事してないわけです。一度出れば次の出番まで、お茶飲んだりしてる。でも呼び込みと司会は、休みなくしゃべり続けていますから。あれは結構大変です。
まあ何であれ、ショーとして成立する興行であれば何でもいいんです。そもそも昔の見世物小屋は、もっと雑多なものだった。芸をやらず、ただ動物を見せてるだけの動物園的なものもあったし。本物のフリークショーじゃなきゃいけないということもない。僕たちにプロデュースをまかせてくれている大寅興行さんの側にも、自由にやってくれという気持ちもあるし。もともと、なんでもありなのが伝統だともいえます。
ところがお客さんの中の何割かは、うちの劇団の茶化した部分があるようなノリが、悪い意味でポップに見えるようで、その人たちにとっての伝統のイメージを壊してるという批判があるのは見かけます。
僕も地方の昭和っぽい商店街を見るのが好きなんで、そういう気持ちを持って見に来てくれるのはわかるんですが。でも、皆がイメージするであろう『少女椿』(見世物小屋を舞台とした、丸尾末広の漫画)みたいな世界観を、別に伝統とは思っていません。
――ご自身は子どもの頃などに、見世物小屋を見たご経験は?
Dr.エクアドル 近くに小屋が来てるのは知ってましたが、なんか親がこういうの見ちゃダメと(笑)。そうして20歳ぐらいでそういう文化に興味を持ち始めた時には、もうないと言われていましたね。多分その頃も、本当はまだ大寅さんとかバリバリやってたと思うんですけど。だから多分今でも「見世物小屋はもうない」と思ってる人結構いらっしゃるのでは。
でもまだまだ、今のような形で続けられればとは思っていますよ。劇団の本公演とはちょっと違う楽しみがありますし。本公演だと、客がウケたからとかそういう方向に逃げないよう、むしろ客を黙らせようぐらいな勢いと気持ちでやっているんですが、見世物小屋は子供から老人までに広く見せているので、客の反応がやりがいに繋がってる感じです。「今日は反応があってよかったな」とか。そういうのが励みになっています。
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