「寄ってらっしゃい見てらっしゃい」「お代は見てのお帰りで」「親の因果が子に報い」――出店がひしめく祭りの夜、怪しげな呼び込みで人を誘うのは見世物小屋。始まりは室町時代といわれ、最盛期は戦後、その後平成を経て令和となった現在はほぼ消えつつある。
衰退の発端は、TVや映画など娯楽の発達と、業界の高齢化による継承者不足。それでもアングラ系劇団が興行に協力する形で開催されてきたが、ここ数年は、コロナ禍により興行の主戦場である祭りそのものが開催されていない年もあった。
今、見世物小屋はどうなっているのか? 興行に携わる劇団「ゴキブリコンビナート」の主宰のDr.エクアドル氏に、出演時の裏話などを聞かせてもらった。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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「見世物小屋」を始めた理由
――まず、劇団「ゴキブリコンビナート」が見世物小屋をプロデュース、出演するようになったのは、どんな経緯で?
Dr.エクアドル アングラ仲間で「第七病棟」という劇団の入方(いりかた)って人がいたんですよね。そこそこ仲良くしていて。まず彼が、見世物小屋をやろうと言い出したんです。当時「日本で最後」と言われていた大寅(おおとら)興行社が見世物小屋を続けていたので、そこへ弟子入りすることになりました。
ところがある程度時間をかけて見世物修業させるという感じではなく、短期間で入方君を独立させた。そこで人手に困った入方君から、手伝ってくれと声をかけられたんです。
ある時は呼び込みだったり、またある時は立て込み(※会場の設営)だったり。そうして徐々に僕も関わるようになっていき、ある時期から演目は全部まかせると言われるようになった。そうして2回くらい、ゴキブリコンビナートがパフォーマンス全般を担当した興行があった後ですかね。入方君が自殺してしまったんです。記憶では、2010年くらいですかね。
その後数年くらいたってから、今度は大寅さんのほうから「小屋は用意するからパフォーマンスをやらないか」というオファーが来まして。そして現在に至っています。