「玉砕スーツ」誕生秘話
――演説の内容もさることながら、やはり玉砕スーツも凄まじいインパクトでした。
鳥肌 「玉砕スーツ」と、誰が言い出したのか、自分で名付けたのか、ハッキリとは覚えてないんですが、今やお客様の間でもすっかりその名で通っております。
ポマードべっとり塗り込んでオールバックにして、玉砕スーツを着装するとスイッチが入るというか、ステージ衣裳ではあるんですが、私にとって戦闘服ですね。特攻服というと、暴走族のイメージが強いので、あえて戦闘服と、言わせてもらいましたが、着装すると一気に気合いの入る軍服、そういうイメージですかね。
一歩間違えると、暴走族の特攻服みたいになってしまうので、刺繍の文言、書体、大きさ、配置には細心の注意を払い、こだわり抜いて製作しました。
……赤羽先生! 本当に有難うございました!(感極まって立ち上がり、アイスコーヒーを一気に飲み干す)
――赤羽先生とは? ……玉砕スーツの生みの親なんですか?
鳥肌 中野ブロードウェイにあったアートシシュウの赤羽耕而大先生、残念ながら、お亡くなりになってしまいましたが。赤羽先生は横振り刺繍の大家で、世界的にも有名な刺繍職人です。
横振り刺繍とは、ミシンを使って両手で生地を動かして柄を刺繍していく、日本独自の古くからの技法です。今はほとんどがコンピューター入力の刺繍になってしまいましたが。
当時、金の無い私に、破格の値段で刺繍を施してくれた赤羽先生のおかげで、私の出世服、玉砕スーツのファーストモデルが誕生したんです。先生! 安くしてくれたのにツケが溜まって申し訳ございませんでした! 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
水出しコーヒーもう一杯!
あっ、氣志團にもアート刺繍を紹介したんです。彼らの学ランも初期の物はあそこですよ。