観光客をひきつけるのは住民たちの“〇〇力”だった
ここでも、やはり「もてなし」の住民力が人を引きつけていた。肥前浜駅とは別の意味で、鹿島らしい場所なのかもしれない。
掃除に参加している女性の1人に会った。「非電化区間は人口が減っている地区でもあるので、何だか見捨てられたような感じがします。でも、ここから長崎方面にかけてが、長崎本線で一番車窓の景色が美しいところなんですよ。有明海に沿って走る列車から、雲仙普賢岳も見える。トンネルばかりの新幹線とは違って、列車を楽しむことができるのです」。
「裏通り」には、スピード重視の「表通り」とは違った楽しみ方があるのだろう。
思い返せば、鹿島市には「裏通り化」への危機感をプラスに転じた歴史があった。ガタリンピックだ。
1984年に発表された佐賀県の総合計画で、鹿島市には将来、新幹線も高速道路も通らないと分かった。これが引き金となり、市内の若手が地域起こしグループを結成。それまでは見向きもされなかった干潟で遊べないかと発案した。木原係長は「最初は『そんなこと、できるわけなかろうもん』と地元に言われたのですが、最後は若手と地元が協力して成功させました」と語る。1985年の第1回大会には小学生だった木原係長も出場している。
ガタリンピックを生んだ「裏通り化」への危惧は現実のものとなった。
鹿島市内には「観光客はマイカーや団体のバスが主流なので、鉄道で裏通りになってもそれほど変わりはない」と強気の人も少なからずいる。しかし、通勤通学を含めて、沿線が大きな曲がり角に直面しているのは間違いない。
寂れた裏通りになるのか、それともキラリと光り、人を引き寄せる裏通りになるのか。
同じ裏通りにも、種類があるのだろう。
写真=葉上太郎
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