そのため、オナニーは無害と言いながらも推奨はしない、もしくは過度なオナニーは有害という立場を取った識者たちは、「弱い有害論」と言われることもありました。
大正期の男子学生たちは、罪悪感を抱きながらも膨れ上がる性欲を収めるべく、ひっそりとオナニーをしていたことがうかがえます。
性欲の昇華を推奨した昭和の性教育
「有害!」とオナニーに強い抑制をかけた明治期から、「無害だけれども推奨はしない」とやや緩和された大正期の流れは、そのまま昭和へと移行していきました。
社会衛生学を専門とした医師、星野鉄男が1927年に記した性教育本である『性教育に就(つい)て』には、「男性の8割、9割が一度はかかる習慣であっても悪い習慣」「頭のいい子が、このオナニーの習慣にとらわれて、とんだ悪い成績になってしまったという例がある」とあります。
その一方で、精神分析学者の大槻憲二(おおつきけんじ)は、『続・恋愛性慾の心理とその分析処置法』(1940年発行)で、オナニーについて、買春に比べれば「青年の性処置法として最も合理的」と述べました。
男性の持つ性欲に対してネガティブなイメージが強く残ってはいましたが、「買春よりはオナニーのほうがまし」という流れは、1956年に制定、翌年に施行された「売春防止法」でより決定的になりました。明治期から続いた性の統制は、そもそもは買春による性感染症から青年を守ることが主目的でもあったため、買春よりはオナニーをして感染症にかからないでいてくれたほうが、教育界、医学界、双方の意に沿うものであったといえます。
一般社会での性に対する認識の変化
とはいえ、教育界が先導する性教育においては、当時も公式にはオナニーを認める流れはありませんでした。戦後の性教育は、売春防止法の少し前、1948年にまとめられた「純潔教育基本要項」から始まりましたが、「性的刺激の環境から遠ざける工夫」や「性的意識を転換させる工夫として運動競技や趣味娯楽を楽しむ」といった指導法が明記されています。性欲を他の形でなんとかごまかしたり、発散させたりしようとする指導内容であり、まさしく「寝た子を起こすな」を踏襲したスタンスといえるでしょう。