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たった1人の選手が一瞬で雰囲気を変える…39歳・松田宣浩の大きさ

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/10/04
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 ここに来て、“熱男”の凄さを心の底から痛感している。世界の中心で『熱男』と叫びたいほどに、この人はプロの“熱男”だと感動している。

 プロ17年目、39歳の松田宣浩選手。

 今や松田選手の代名詞、いや、固有名詞となっているのがこの『熱男』。野球にあまり興味のない友人に「ねえ、熱男ってなに?」と聞かれた時には、もはや文字通りと説明する。“松田宣浩そのもの”だと言っても良いだろう。

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気付けば誰もが認める松田選手のものになっていった

 正確に言うと、そもそも『熱男』とは、2015年シーズンのホークスのチームスローガンだった。『熱男』を合言葉にチームは1つになり、日本一に輝いた。チームのムードメーカーでもある松田選手は、その年から本塁打を放った際には、ダイヤモンドを1周してベンチ前に戻ってくると『熱男~』と拳を突き上げた。これが最高に盛り上がった。チームは勢いに乗るし、球場全体に一体感をもたらした。松田選手自身、次第にこの『熱男』を気に入って、事あるごとに『熱男~』と叫んでいた。

 また、2016年のスローガンも前年を踏襲し「熱男2016」だった。

 ホークスではその年のスローガンを決定する際に監督が最終決定権を持つ。当時は工藤公康監督。毎年のことだが、この年もスローガン決定までの過程には50を超える候補があったというが、「パッと見て『熱男』を越えるものがなかった。(候補を)考えてくれた方々には申し訳なかったけど、僕が最初に『熱男がいいよね』という話をしました。やっぱり野球ってグラウンドで熱くなって最後まで諦めない戦いをしないといけないし、選手たちは上手くなろうという探求心を持って昨年からやってきた。それが根付き、芽生えた。それを継承していくのがいい」と話していた。

 ところが、「熱男」はチームスローガンというより、気付けば誰もが認める松田選手のものになっていった。それくらい“マッチにマッチ”した言葉になった。チームが個人にスローガンを譲る格好となった、おそらく初めての事例である。

 こうしてチームスローガンを我がものにした男は、その後、日本中に『熱男』の名を轟かせてきた。オールスターや侍ジャパンの試合では他球団ファンのみなさんも一緒になって『熱男』を体感した。みんなを笑顔にしてくれる、それが『熱男』。これぞ真のプロ野球選手。松田宣浩という選手は、プレーのみならず存在そのものがプロフェッショナルだった。

松田宣浩

2軍でもいつもと変わらぬ『熱男』だった

 そんな松田選手が、今季限りでホークスを退団することになった。まだ実感が湧かない思いもあるが、9月28日には退団会見を行った。信じられない気持ちを抱えながら、現実を目の当たりにした。

 たしかに、今季は結果に苦しんだ。1軍出場43試合で打率2割4厘、本塁打は0本。1軍で『熱男』を披露出来なかった。それでも、元気いっぱいチームを盛り上げる欠かせない戦力として、1軍に居続けた。

 試合に出ていてもいなくても、存在感は唯一無二。しかし、優勝争いが佳境に入り、選手繰りも難しくなってきた9月、松田選手はとうとう出場選手登録を外れた。

 首脳陣にとっても苦渋の決断だったことは容易に想像できた。そして、本人の心中も察するに余りある。13日から2軍本体に合流となったが、優勝争いの蚊帳の外にいる熱男を見るのは心苦しい、そう思いながら、いつものように筑後へ取材に向かった。

 しかし、そんな気がかりは一瞬で吹き飛んだ。熱男は、どこにいてもプロの『熱男』だったのだ。その姿は誰もが感動さえ覚えたと思う。落ち込んだり不貞腐れたりするどころか、1軍で見せる姿と同じように、いつもと変わらぬ全力の熱男だった。「歩くホットコーナー」とでもいうべきか、松田選手のいる場所はどこであっても輝いていた。そして、周囲の人間にも笑顔を波及させた。

どこにいても全力熱男な松田選手 ©上杉あずさ
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