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ラムちゃんが「~だっちゃ」と訛るわけ

 最初の掲載から週刊連載まで足かけ3年をかけたことに、じっくり作家を育てていこうという編集側の姿勢がうかがえる。高橋も、《最初にあたった編集さんにほんと手取り足取りめんどう見てもらった》とのちに振り返っている(『週刊文春』1983年3月3日号)。ラムの「~だっちゃ」という口調も、編集者のアドバイスから生まれた。『勝手なやつら』に登場する半魚人のセリフが「~だっぴゃ」と訛っていたので、ラムもそうしたらいいんじゃないかとの助言を受け、愛読していた井上ひさしの小説『青葉繁れる』に出てくる仙台の方言から「~だっちゃ」を取ったという(『ダ・ヴィンチ』2013年12月号)。

デビュー作『勝手なやつら』に登場する半魚人。語尾に「~だっぴゃ」をつけている。『高橋留美子傑作短編集 1』 (小学館)に収録。

「劇画村塾」では「マンガ=キャラクター」と徹底して叩きこまれていただけに、キャラづくりには力が入った。とくにラムはかわいさが第一だと思い、もっともつくり込んだキャラクターだという。ちなみにその名前は、70年代に青少年を夢中にさせたハワイ出身のモデル、アグネス・ラムから取っている。ほかにも、ラムがあたるを「ダーリン」と呼ぶのは、短期連載が始まったころの沢田研二のヒット曲「ダーリング」が元ネタだったりと、同時代の風俗も反映していた。ドタバタな展開は筒井康隆の小説から、テンポやリズムは『がきデカ』など山上たつひこのマンガからの影響があるとも語っている(『宝島』1982年2月号)。

 前出の三宅克に言わせると、高橋は催促しなくてもどんどん作品を持ってくるし、絵もみるみるうちにうまくなっていったので、ことさらに注文をつけることはほとんどなかったようだ。本人としても、編集者が好きにやらせてくれたのはラッキーだったと語っている(『本の窓』2000年3・4月号)。おかげで高橋は才能とエネルギーを惜しみなく『うる星やつら』に注ぎ込むことができた。多くの読者もそのパワーに心をつかまれたのだろう、アニメ化と前後して大ヒットとなる。

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(右から)高橋留美子、近藤ようこ。ふたりは新潟県立新潟中央高校の同級生で、ともに漫画研究会の部員として活動していた。 ©文藝春秋

チーフ・ディレクター押井守の開き直り

 最初のアニメ化に際しては、チーフ・ディレクターの押井守を中心に、脚本の伊藤和典、キャラクターデザインの高田明美など新進気鋭のスタッフが結集した。いずれもその後の日本のアニメーション界を牽引していった人々である。出演者も、あたる役の古川登志夫や面堂終太郎役の神谷明など当時脂が乗っていた声優が多数起用された。ラム役の声優には、当時、ラジオのDJで人気を集めていた平野文がオーディションで選ばれている。

 原作の持つ独特のテンポとリズムを映像化するため、制作陣は腐心したようだ。しかし、当時のスタッフによると、放送開始から1年後の1982年10月に放送された「君去りし後」というエピソードあたりから、押井守の開き直りが感じられるようになったという(『アニメージュ』1986年6月号)。このときの話は、ラムがある日突然、あたるのもとから去ってしまうという内容であった。あたるは彼女がいなくなってその存在のかけがえのなさを思い知り、打ちひしがれる。アニメではそんな彼の心情が、呆然としながら夜の街をさまよい歩く姿などを通じて描かれていた。当時、まだ小学校に上がる前だった筆者も(同じく水曜夜7時台のアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』とともに毎週見ていた)、この回には幼心に切なさを覚えた記憶がある。