『早稲田古本劇場』(向井透史 著)本の雑誌社

 いつ見ても客のいたためしがない。店番の姿さえ無い時がある。本のみが店にあふれている。古本屋は霞を食って生きているのか。

 評者が古本屋を開いていた二十数年前は、地域から仙人視されていた。古本屋は謎の商売であり、あるじは怪しい人物であった。

 21世紀の今日は、どうだろう? 早稲田大学の近くで『古書現世』を営む、この道30年の2代目店主の、2010年夏から21年暮れまでの12年間を見てみる。店主の日々を記録した、題して、『早稲田古本劇場』。そう、まさに劇場である。客のいない古本屋は昔と変わらない。店主も相変わらず霞を食っているが、時々気まぐれに入ってくるお客さまだって昔ながらの姿である。古本屋の時間は停まったままなのだ。昭和どころか、大正明治の時間である。これぞ古本屋、浮世離れしているから、この商売があり、成り立つのである。

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 立ち読みしていた50代の客が、こう訊(き)いた。「オナラしていいですか」

 突然の断りにあるじは動揺する。いいのか悪いのか。客は二者択一を迫る。やむなく、うなずく(客商売の悲しさである)。BU音。この敗北感。目を上げて店を見れば客の姿は無い。あるじは日記に記す。「せめて本を買ってほしかった」

 400円と500円の本を買った客が、領収書を請求の上、これから妻に電話するので、店名を告げ領収書の価格が適正であることを伝えてほしい、と頼む。以前、領収書を偽造し妻にバレ、店主に直接証明してもらわねば本を購入できなくなったと言う。店主は承知し、客のケータイに出る。ところが電話の向こうの奥様がぐちりだし、次第に興奮してきた。部屋が本に占領され、生活できない。客のことを考えて売ってほしい。あるじは日記に書く。「自分にどうしろと!」

 見知らぬ客からダンボール箱が届いた。中身はかつて店で販売した本ばかり。同封の手紙にいわく。古本屋廻りが趣味だったが、事情あって実家に帰る。本は進呈します。ただし条件あり。あなたの店で全部売ってほしい。「自己満足ですが、お店に痕跡を残したいのです」

 閉店後あるじは箱の本を店の棚に並べ、お礼の手紙を書く。

 売れる本は店先の100円均一ばかり。この頃は10円玉で支払う客が目立つ。銀行の両替手数料が高くなったせいだろうか。

 コロナが騒がれだした頃、マスクの在庫を聞きにきた客があった。古本屋に、である。

 前言訂正。古本屋は仙界でなく俗世にいる。従って店主の日記は、本の売買を通じて、現代日本の姿を正直に映している。大仰でなく本書は、白眉の庶民生活資料の一冊である。

 著者は本の手入れに余念がない。本を愛すること、古本屋の右に出る者があろうか。

むかいとうし/1972年東京都生まれ。新宿区西早稲田の古書店『古書現世』2代目店主。堀越学園高校で柔道に明け暮れる生活を送った後、なんとなく手伝っているうちに父親が独立開業した古書店を受け継ぐことに。著書に『早稲田古本屋日録』、『早稲田古本屋街』がある。
 

でくねたつろう/1944年生まれ。73年から古書店「芳雅堂」を営んだ。『佃島ふたり書房』で直木賞受賞。近著に『花のなごり』。