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 また、例えば、「あなたは、神や仏の存在を信じますか」と問われれば、「いえ、そうしたものは存在しないと思います」と答える人でも、ひとたび、家族が深刻な病気になったり、大きな事故に遭ったりしたときは、神社や仏閣に参拝し、病気治癒や健康回復などの祈願をし、家族の無事を祈ることも、決して珍しくない。

 では、こうした「死後の世界の半信半疑論」や「神仏の存在の半信半疑論」とでも呼ぶべき第三の立場の人が、なぜ、数多く生まれてくるのか。

 その理由を端的に述べるならば、多くの人々は、深層意識のどこかに、「死後の世界があると信じたい」「神仏の存在を信じたい」という思いを抱きつつも、現代の科学が、その存在を明確に否定しているため、表面意識では、「死後の世界は存在しない」「神仏は存在しない」と考えているからであろう。

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「最大の宗教」としての「科学」

 そして、こうした矛盾が起こる背景には、「科学」というものが、現代における「最大の宗教」になっているという、奇妙な状況がある。

 たしかに、これまでの歴史において、「科学」は、人々の生命と健康を守り、生活を便利で快適なものにするために、極めて多くのことを成し遂げてきた。この「科学」が成し遂げた素晴らしい成果や業績は、誰もが認めるものであろう。

 しかし、その結果、現代においては、「科学」というものが、我々の意識に最大の影響力を持つ存在となり、いわば「最大の宗教」となってしまっているのである。

 そして、その「科学」が、「神秘的な現象」の存在を否定し、「死後の世界」の存在を否定しているかぎり、この二つを肯定している「宗教」とは、決して、交わることが無い。

 では、なぜ、現代の「科学」は、「神秘的な現象」や「死後の世界」を否定するのか。

 それらは、本当に、「科学」によって否定できるものなのか。

 そのことを、もう少し深く考えてみよう。