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なぜ小説という表現技法に辿り着いたのか

 社会学論文を出版し、新聞記者となり、独立してフリーライターとなり、さまざまな文章表現を試し書きこなしてきた鈴木涼美が、ファクトの世界を経てフィクションへ、小説という表現方法に辿り着いたのは、必然でもあったのだろう。

「論文には論文の、エッセイにはエッセイの、小説には小説の自由があり、書ける領域があると信じています。何かを経て転向したという意識は特にありません。私にとって必要な文体があれば獲得したいとこれからも思う」

「今回扱ったポルノ業界は、それこそ論破王みたいな人に『そもそも外で撮影とかしてるから、犯罪ですよね』とか言われたら一瞬で論破されるようなところです。でも別に、論破されたところで、否定されたところで、世間の大半に正しくないとみなされたところで、その場所で生きている人がいるというのは忘れたくないですね。

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©丸谷嘉長

 私自身も、自分が『正しい』と思ったことも、自分の人生を『誇らしい』とか『間違っていなかった』と思ったことも一度もないけれど、生きてはいます。『君のことはすごく好きだけど、親には絶対紹介できない』なんて言われたら、誰に論破されるまでもなく、私自身が自分を否定するだろうし、恥じるだろうし、呪うだろうし」

 鈴木はふっとため息をつき、微苦笑した。「でもなんか、呪う先もいまいちわからないみたいなさ。自分自身に向けてなんだけど、基本的には。なかなか難しいですね、人生と密接に関わり過ぎちゃって。それがなかったら社会学には興味がなかったし、小説も書いてたかどうかわからないと思うので。いま、小説を書くことは楽しいです。楽しくないと、資料とかの大きな本で部屋は散らかるし、髪やボディケアはおろそかになるし、書いていられないんじゃないですかね。ものを考えることも書くことも、結構めんどくさいものですよね、やっぱり(笑)」

ヘアメイク 佐藤寛