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夕食のおかずが「焼いた油揚げ一枚」

 面接を受けた橋本さんは、Javaエンジニアとして採用された。これで妻と子どもを食べさせていけるとホッとしたのもつかの間、それから3カ月、無給の研修が待っていた。名刺の渡し方も知らないことがバレて、ビジネスマンとしての基礎を叩き込まれたのだ。

 それまでの1年、チラシの製作でも八百屋でもたいした稼ぎがなかった橋本家にとって、3カ月の無給は痛い。演劇学校時代から連れ添う妻は小言を言うタイプではなかったが、研修中のある日、夕食のおかずが「焼いた油揚げ一枚」だったことで家庭の財政危機を悟った橋本氏は、必死にビジネスマナーをおぼえた。

 そうしてなんとか研修を終えてエンジニアとして働き始めると、初めて仕事が楽しいと思えた。これが転機となった。

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「思えば、ずっと自分探しをしているような感じでした。家庭を犠牲にしながら。でも過去を振り返ったら、子どもの頃のファミリーベーシック、高校時代のPC-9801、それからもパソコンだけはずーっと触ってきたんですよね。お尻が蒸れるから長く座っていられないという体の造りは変わっていないから、蒸れを忘れるぐらい没頭できることじゃないと仕事にできないと気付きました(笑)」

 建設業界も、チラシのデザインも、八百屋もしっくりこなかった。「なにか違うんだよな」と首を捻りながら仕事を転々とするなかで、ようやく出会った「お尻の蒸れが気にならない仕事」は、子どもの頃から夢中で遊んできたパソコンを使うエンジニアだった。

就職せずに自分でお金を作る 

 

 ようやく腰を据えて取り組める仕事に出会った橋本さんは、派遣のプログラマーとして3年勤務。2004年、所属していた派遣会社で意気投合した仲間ふたりと起業した。「無」の状態から有を創り出す「研究所」という意味を込めて、英語のNull(ヌル=無)と Lab (研究所)を合わせてNULAB(ヌーラボ)と名付けた。起業に対する気負いはなく、「自然な流れ」だったと振り返る。

「そもそも劇団を立ち上げたり、チラシのデザインしてみたり、八百屋をやってみたりとか、就職せずに自分でお金を作る方法をずっと考えてきたんで。僕を拾ってくれた会社に入る時、履歴書に作文をつけなきゃいけなかったんですけど、そこにも、3年後に独立しますと書いていましたから予定通りでした。特段、責任感を持って、みたいなのはなくて、むしろ仲間とワイワイ劇団をやっていた頃に戻ってきたなあ、みたいな(笑)」

 起業の際、3人が目指したのは「エンジニアがエンジニアらしく働ける会社」。具体的には「プログラムをワーッとしてても、楽しい!と思える会社」だった。

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後編〈福岡から革新的なサービスを生んだ「自由な感覚」——ヌーラボ創業者・橋本正徳 #2〉に続く

写真=川内イオ