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コミュニケーションの面白さに目覚めた

川下 その後1980年に博報堂に入社するわけですが、デザインの世界に足を踏み入れた時はどんな感じでしたか?

大貫 華やかな広告の世界を夢みていた自分としては最初の仕事は予想外なものでした。

 美大時代は新しい表現を追い求めるアート思考の感覚派だったんですが、博報堂に入ってみたら、僕が夢みていたハイセンスでかっこいい広告の仕事なんか全然ないわけです。当時担当していたのは出版関係の新聞広告の仕事が主で、ほんとうに興味がなかった(笑)。当時の自分は感覚というかセンスで勝負したかったんですが、このセンスというあやふやなものが上司に理解してもらえない。「面白ーい!」と思われない限り自分のアイデアが採用されることがなかったんですね。もう無理矢理、面白くて受けそうなことばかり考えていました。

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 ところが、やっていくうちに、このコミュニケーションって仕事はすごく面白いのではないかと思い始めたんです。学生時代の自分が制作してきたものが自己満足でしかなかったことに対して、自分の仕事を見た世の中の人から「面白ーい!」って反応がいちいち返ってくるのが実に刺激的な体験だったんですね。それで、まんまとこのゲームにはまってしまったというか(笑)。広告のダイレクトな影響力を体験した後では、アートに対しての興味がうすれた、というか広告の方がよっぽど影響力があるし、よっぽどアートではないかと思ったんです。

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