周囲に焼肉店が続々開業
そんなぬるま湯のような環境が、だんだんと苦しいものに変わっていった。周辺での「焼き肉戦争」が激しくなってきたのだ。「コロナ禍でも来店意欲が強い業態」として注目したのは自分だけではなかった。
まず2021年初めに、調布駅近くの居酒屋「和民」が焼肉店に業態転換した。その年の春には「焼肉きんぐ」が市内に開業した。流行の業態へなだれ込み、需要を食い尽くしては次の流行に移る──。そんな外食業界のサイクルに巻き込まれてしまった。
2022年2月に始まったウクライナ紛争の影響による食材価格の高騰も重なった。売価1100円の牛タン1皿の原価は300円弱から500円超に跳ね上がり、ハラミ1皿の原価も400円弱から600円超になった。
もともと、2021年ごろから輸入品における日本の「買い負け」が目立ち始めていた。世界より一足先にコロナ禍が収束したかに見えた中国の経済活動が活発になっていた影響だ。
輸入品価格が上昇し、それが国内品の価格も押し上げていた。そこにウクライナ紛争が起きて食品流通に対する不安が増し、値上がり幅が拡大した格好だ。
近隣の焼き肉チェーンは食べ放題などを前面に押し出して「お得さ」をアピールしていた。集客面での競争力を考えると、原価の上昇を価格に反映するどころか、値下げを敢行せざるを得ない。店の利益幅はじりじりと小さくなっていく。人件費を抑えるために自身が夜中まで働き続けて何とか黒字を保ったが、男性の収入は月10万〜20万円程度に落ち込んだ。
これだけ体力と精神力を削りながら働いても、大した収入は得られない。収入の安定性や福利厚生を考えれば、会社員でいる方が生活は楽になる。「稼げないなら仕方がない」。男性は外食への挑戦に区切りを付けた。
オーバーストア(過剰出店)による厳しい競争が常態化している外食産業では、「開業してから2年後には半数が閉業する」ともいわれる。この焼肉店のオーナーもこうした壁にはね返された一人と言えるだろう。店の雰囲気、味、価格、立地……。外食店の魅力を左右する要素は数多くある。この焼肉店が稼げない何らかの理由があったのかもしれない。
しかし、男性はこうも話す。「消耗戦に巻き込んできた他の店舗も疲弊しているはず。勝ち組はどこにもいない」。実際に焼き肉業態の雲行きは怪しくなってきた。M&A(合併・買収)仲介サイトのバトンズによると、「焼き肉・ステーキ」業態の店舗売却希望も着実に増えているという。一部の大手チェーンは出店スピードを抑え始めた。