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みんなができることをできない……抱えていた劣等感

ーー「大食い王決定戦」以前の話になりますが、2018年のインタビューで「たぶん何か失調していたんだと思うんですけど、発達障害なんて言葉も聞いたことがない時代だから、怒られてばっかり」と、少女時代を振り返っています。かなり、しんどい時期があったのではないかと。 

菅原 いまだったら、支援学級に入るのを検討してもいいレベルでしたね。息子の慶が発達障害で、ずっと支援学級だったんですよ。そのおかげで劣等感を持たずに育ったんですけど。 

 私の場合は、みんなができることができなくて劣等感がすごく強かった。運動神経の問題もあるかもしれないけど、ボールを投げるのが苦手で。ボールを投げるというのは、いろいろな体の動きを協調させての運動なんだけど、それができない発達障害の子は多いんです。あと、忘れ物がすごかった。 

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 忘れないように、手に書いて家に帰ったりするんだけどね。子供がそうだと、普通の親は「ハンカチ持ったの?」「ちり紙は?」とかやってくれるけど、うちの親はそういうのがまったくなくて。いま思えば、親も発達障害だったのかもしれないけど。まぁ、親に助けを求めても無駄だとわかったのは良かったかも。 

ーー早い時期から、もう自分でやるしかないと悟りましたか。 

菅原 勉強については小学2年生の時に、親に見切りをつけましたね。勉強に興味ない人たちだったので。

 

 けど、みんなが漢字のテストで80点とか取るなかで、自分だけ50点だと悔しいじゃないですか。で、次はいい点をとろうと自分なりのやり方でがんばるんだけど、取れない(笑)。 

徐々に見つけた「自分なりのやり方」

ーー自分なりに見つけたやり方で、具体的なものというと。 

菅原 私は耳から情報を掴むのが弱くて。聴覚型ではなく、視覚型なんですね。子供の頃の授業って、板書もするけど、しゃべって教えたりする内容が多くて覚えられないし、理解できない。中学あたりでそれに気づいて、とにかく書くことにして。書くと覚えるし、なんだか落ち着くというか。耳からの情報を視覚化することでなんとかなるみたいな。 

 人とかの顔も覚えられないんですけど。いまの仕事は問題ないけど、昔、メガネ屋の販売員だった時は困ったわけ。お客さんが後でメガネを取りに来るときに顔がわからないといけないので。

 だから、お客さんが帰ったら、似顔絵を描いて、二重だとか、顔の特徴すべてを文字で書き込んで覚える。数字は強いので、これまでの度数、新しく測った度数、瞳孔間距離とかも書く。数字は好きなんですね。ゴチャゴチャしてないから。