アイドルの世界は楽曲中心から人間中心に
西寺 『グループサウンズ』にも書かれていますけど、今のアーティストって3年とかって、普通に生き延びますよね。アイドルがたとえば歳を重ねて40歳ぐらいで「グループやめます」と言っても「なんで?」となるじゃないですか。
近田 そうそう。
西寺 でも80年代ぐらいまではやっぱりアイドルのほんとの絶頂期って3年とかですよね。それまでは30歳を超えて「キャーッ」と言われることはそんなになかったんじゃないですか?
近田 やっぱり「アイドルの延命措置」みたいな技術がすごく上がっていったんでしょう。海外の事情はわからないんだけど、日本の場合にはなんでアイドルの人たちの命が長くなったかというと、ファンクラブを作ったということなんですよね。
つまりね、それまでのグループサウンズの時代にもいくつかファンクラブはあったけれども、形だけだったの。最初にファンクラブというものをガッチリ作り始めたのは、それこそワイルドワンズのマネージャーだったナベプロ(渡辺プロ)の大里洋吉。そのあとキャンディーズをやったんですよ。
西寺 本にも書かれていましたね。
近田 大里さんは今のアミューズの会長。その後、ナベプロから独立してね。彼はそのキャンディーズが78年の4月に解散するまでの約半年間に、とにかく盛り上げようということで、いろいろストーリーを与えていったわけですよ。ファンクラブを通じて。それはやっぱり音楽だけじゃなくて、人間・キャンディーズの魅力を目一杯に伝えていくというか。
西寺 ファンのみんなに物語を与えていく。
近田 そう。アーチストとファンクラブの関係は、コンサートに行ってもらったりレコードを買ってもらったり「みんなをタニマチにさせる」ということです。
西寺 大里さんは「グループサウンズがあんなに大爆発したのに、なんで短期間で落ちちゃったんだろう」という自分の辛い経験を元に考えられたのでしょうか。
近田 そういうところはあると思うな。だからジャクソン5みたいにグループのイメージを変えていこうとしたのも、たぶん大里洋吉がワイルドワンズを長く続けさせようと考え抜いた結果のアイデアだと思うんだ。だからキャンディーズ以降、日本の芸能界、特にアイドルの世界で何が変わったかというと、それまでは楽曲中心だったものが人間中心になっていくんですよ。
西寺 なるほど。グループサウンズで得た経験は音楽的にもスタッフワーク的にもその後の日本の音楽業界に大きな影響を与え続けているんですね。
写真撮影=杉山拓也/文藝春秋