三宅 日本のゲームは職人的な作り方で、2002~2003年頃まではうまくいっていました。世界に対して圧勝していましたよね。ところがその後プレイステーション3やXbox360が登場して、ゲーム容量が急激に巨大化していきます。プレイヤーがどんな順番でどこに行っても良い、何をしても良いとまで思わせるオープンワールドゲームが主流になっていった時、その制作スタイルに限界が来ることは必然だったんです。遊園地くらいまでは全てのものを人工物で構築することができるけれども、一つの島国くらいになったら、もう無理ですよね。
1000万タイトルはどれも洋ゲーばかり
――2000年代、残念ながら日本はお家芸だったゲームの覇権を奪われました。ふと気づくと1000万本超えのゲームは洋ゲーばかりになっていました。
三宅 はい。その状況に気づいて、日本の各メーカーが努力を始めたのが2010年頃でした。かなりの時間はかかったのですが、オープンワールド化以降、ゲームはそれほど拡大や進化を見せず足踏みをしている状況でしたので、その間に追いつくことができたんです。
――そこで三宅先生の功績も大きいと思っています。先生が学術の世界からゲーム業界に参入され、ゲームに本格的なAI技術を持ち込まれたのが、その頃ですね。『FINAL FANTASY XV』が出た時には、日本のゲームAIが世界に追いつくことができたかもしれないと思いました。もちろん、それで安心するわけにはいかないですよね。業界を挙げてこのゲームの価値をきちんと分析した上で、そこから先を進めなくてはならない。
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