日本のゲーム業界が海外に遅れをとった理由について語った、ゲームAI開発者の三宅陽一郎氏(スクウェア・エニックス所属)のインタビューを紹介。20年前まで「敵なし」と思われていた日本のゲーム業界だが、近年は販売本数1000万本を超えるような話題作に恵まれない理由とは?

 小説家でライターの渡辺浩弐氏の新刊『7つの明るい未来技術 2030年のゲーム・チェンジャー』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

わずか20年でなぜ日本のゲーム業界は、海外に追い抜かされてしまったのか? 画像はイメージ ©getty

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「職人的な作り込み」こそ魅力だった日本のゲーム

――ゲームにAIテクノロジーが求められるようになった理由は何でしょうか。

三宅陽一郎(以下、三宅) ファミコンやスーパーファミコンの時代までのゲームでは、キャラクターがどのタイミングでどの位置でどう動くかということがある程度限られていましたので、そのパターンは全てあらかじめ決定してプログラムに埋め込んでいました。

 変化は1995年頃、ゲームの空間が3Dになっていったことによって始まりました。キャラクターの挙動が格段に複雑になりました。障害物があった時に、まわりこんで避けるのか、かがんで下をくぐるのか、あるいは体を横にして隙間を通るのか。可能性が激増したため、動きを全てあらかじめ決めることは難しくなり、無理に対応させると不自然に見えることが多くなりました。

 そこで、キャラクターに自分で判断させて、自律的に動かせようという試みが、アメリカで始まったんですね。90年代後半、MITやスタンフォード大学あたりを中心に、ゲーム内で自律型AIを動かす研究が進みました。それに先駆けて進んでいたロボットの技術が、どっと入ってきました。

――その頃、日本のゲーム業界はどうだったんでしょうか。

三宅 日本は、その動きに後れをとってしまっていました。日本のゲームは、歴史的にそういう方向を志向していなかったんです。ゲーム世界を、細部まで人間の手で作り込むべきだと。キャラクターの動きについても、その場その場で最高の動きをするように全てあらかじめ丁寧に決めておくべきだという考え方が主流でした。効率度外視の作り方ですが、実際、2D時代のゲームではそれができていたんです。

ゲームAI開発者の三宅陽一郎氏

――確かに、その職人的な作り込みこそが、日本のゲームの良さと言われていました。

三宅 そうです。90年代“洋ゲー”という言葉があまり良くない意味に使われていたことを覚えていますか。

――はい、日本のゲームでも「洋ゲーっぽい」と評されるのは、決して褒め言葉ではありませんでした。