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 そして、これらの塾の学費を捻出していたのは、裕福な家庭だけでなく一般家庭も同じだ。さすが、中国は教育を重視する社会だとお思いの読者もいるかもしれない。子どもの「教育」を重視することは本来良いことだ。

 ただ、それが「学歴」重視になると中身は別だ。さらにその「学歴」が重視されるのは、角度を変えてみると、子女教育を子どもの人生の「成功」への確実な手段と捉え、また、子どもの成功は一族の繁栄、ひいては親の老後保障のための「先行投資」と捉える。そうしたこの国の伝統的な家族運営の知恵とも関係がありそうだ。

 政府による医療や高齢者保険などの社会保障が未発達で1000年以上の科挙試験の歴史をもつ中国では、子どもの「学歴」確保は、親にとっては、その子が将来出世し潤沢な経済力を持ち、老いたときに自分の老後を保障してくれる数少ない確かな道と位置付けられてきた。人々の間にはそうした考え方が「生きるための知恵」として根付いている。

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一番の目的は「育てる」よりも「選別すること」

 また、中国の教育システムを俯瞰してみると、少々乱暴な言い方だが、一番の目的は多様な人材を「育てる」ことよりも、ごく一部のエリートを「選別する」ことを念頭にデザインされている。最近は教育改革に伴い、歪みが改善され個別には良い先生も増えている。しかし、数年前までは、中国の小学校の先生は成績の悪い子を本気で「迷惑者」扱いしていたものだ。「私の担当するクラスで良い成績を出せない生徒は、早く転校してほしい」というのが多くの先生の本音で、実際に、転校を迫られた子どもを筆者も見てきた。クラスの理解のゆっくりな子を親切丁寧に多面的に指導する日本の公立小学校とは対照的だ。

 その代わりに、公立学校の教育が優先するのは一部のエリートを「選抜・輩出」することとテストの点の向上だった。それは、まさに日本で言うなら、結果を出すことを期待されている放課後の私塾に相当するだろう。中国では、公立校であっても、広く多様な人材を「育てる」ことまでは手が回らない。そして、先生自身も生徒の成績次第で人事評価される競争に晒されている。じっくり手間暇かけて多様な子どもを「育てる」余裕はない。これが筆者が感じたアッケラカン競争社会、中国の公立小中学校で支配的な文化だ。教育心理や児童心理などは中国ではまだ普及し始めたばかりの新しい分野だ。現在教壇に立っている先生自身も子どもの心理を大切にする教育とは無縁で生きてきた人たちが大多数である。