鶴太郎 好きなことって、好きになろうと思ってなってるわけではないじゃないですか。もっと根源的な、本能的なものなんですよね。だから、その声に耳を傾けて、躊躇なく着手するってことだと思うんですよね。誰でも絶対あると思うんですよ。でも、この歳だからできないとか、俺には向いてないだろうとか、いろんな言い訳をしてその芽を摘んでるんじゃないですか。
――なるほど。「好きなことが見つからない」と言う人もいますけど、本当はあるんじゃないか、ということですね。
鶴太郎 あるんじゃないかと思います。これはちょっとできないとか、恥ずかしいとか、自分で勝手にふたをしてるんじゃないですかね。
――子供の頃の好きだったことを思い出してみるといい、ということも書かれていましたね。
鶴太郎 子供って無邪気だから好きなことをやっているじゃないですか。それが本来のその人の持っているものだから、そこがとても大事だと思います。
――鶴太郎さん自身も、子供の頃から好きだったものをずっとやっているという感じはありますか?
鶴太郎 ものまねやボクシングはそうですね。でも、瞑想に興味を持ったのは50を過ぎてからです。20~30代だったら恐らくやってないと思うんです。歳を重ねて精神世界みたいなものに興味が出てきたんですね。だからやっぱり老いるっていうのは楽しいことなんですよ。
「老いるっていいな」
――この本を読んでいても、鶴太郎さんは「老いる」ということを悪く捉えていないですよね。むしろ楽しんでいるようなところがあります。
鶴太郎 面白いですよね。「老いるっていいな」と思ってます。性欲とかそういうのもなくなってくるじゃないですか。若い頃は性欲という悪魔の声に随分悩まされて、どれだけお金や時間を使ったか、どれだけ失敗してきたか。今はそれがないから、ゆっくり時間を使えるし。
――お年を召した方の中には「終活」を始めたりして、ご自分が亡くなったときのことを考えたりする人も多いと思うんですが、鶴太郎さんはあまりそういうことには興味がなさそうですね。
鶴太郎 そうですね、死んだ後のことについては私自身は正直どうでもいいんです。もう生涯現役で、最期には午睡のごとく亡くなってた、っていうのがいいですね。長生きしたいっていう気持ちがないんです。
本当に丸一日真剣に仕事をしていたら、夜はコテッと寝られるじゃないですか。そこで「寝よう寝よう、良い睡眠をしよう」って考えてたら余計に寝られなくなりますよね。
死ぬのも一緒だと思うんですよ。精一杯やっていたら良い死に方ができる。終活、終活、って思ってる間にも時間は過ぎますからね。それで結果的に何もできなくて、後悔して死んでいくのは私は嫌ですね。(続きを読む)