商店街をずっと北に向かうと見えてきたのは…
この古びた商店街をずっと北にゆくと、巴波川(うずまがわ、と読む。渡良瀬川の支流)というやや川幅の広めの川を渡ることになる。この川沿いを歩くことにしよう。
すると、すぐに見えてきたのは昭和の商店街どころか大正も明治もすっ飛ばし、江戸時代の面影が残る川沿いの町並みだ。いわゆる“蔵造りの町並み”というやつだ。小舟に乗って巴波川を行ったり来たりする遊覧サービスもやっているらしい。川の中を楽しそうに泳ぐ鯉たちのエサも売っている。
観光客で溢れている……とは言い難いところもあるが、老若男女、ちらほらと観光で訪れたであろう人の姿も見える。
この巴波川沿いの町並みは、小江戸としての風情を漂わせるザ・観光地。すっかりタイムスリップした気分が堪能できる、そんな町並みである。川沿いをずっと奥に進めば、嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区という、つまりは徹底的に昔の建物が残されたエリアもある。栃木は、そうした歴史を伝える資源を残す、観光都市なのである。
「栃木」に“小江戸風情”がめちゃめちゃ漂っている理由は?
もともと栃木の町のルーツは、16世紀の終わり頃に皆川広照という武将によって築かれた栃木城の城下町にある。江戸時代に入ると広照は改易されて領主がいなくなってしまう。
ただ、それでも廃れることはなく、日光例幣使街道の宿場町、そして巴波川の舟運で商業都市として賑わった。巴波川には河岸が設けられ、川沿いにはずらりと蔵が建ち並んでいたという。いわゆる“小江戸”としての栃木の町並みは、そうした時代を今に留めたものである。
このように、少なくとも江戸時代までの栃木の町は、宇都宮のような大きな藩の城下町というわけではなかったが、宿場町・河岸町として大いに賑わっていたのだ。
そうして明治に入る。廃藩置県によって藩が廃されて県が置かれた。江戸時代からの商業地としての賑わいが背景にあることは想像に難くない。ただ、現在の47都道府県が完成するまではだいぶ時間がかかる。
おおざっぱにいえば、1871年の時点で現在の栃木県は旧下野国北部が宇都宮県、南部が栃木県となった。栃木の町はもちろん栃木県に含まれ、その県庁が置かれたのである。そして1873年に両者が合併しておおよそいまの栃木県が完成した。