阪神の勢いを完全に止めた86年
他チームとの開幕戦はどうか。対巨人は5勝6敗、対広島は4勝7敗とやはり分が悪く、対中日が9勝8敗2分けとまあまあ。そして残るは対阪神。これが10勝4敗1分けと抜群に相性が良いのである。大洋時代では阪神が21年ぶりの日本一に輝いた翌年、86年4月4日の開幕戦が痛快だった。当日朝のワイドショーでは横浜スタジアムレフト入場口の長い待機列が中継され、トラキチ軍団がカメラに向かって「イェ~イ」とかますシーンが全国に流れる始末。前年の対戦成績は実に6勝17敗3分け。この年もカモにされる雰囲気がプンプンしていた。しかし試合になると一転、前年の苦手意識なんて知ったこっちゃない新外国人カルロス・ポンセが打ちまくって2本塁打5打点。8対7で勝ってしまい、横浜スタジアムは歓喜に包まれる。その勢いで続く2戦、3戦も撃破してまさかの3タテ。阪神の前年からの勢いをいきなり止めてしまった。この年の阪神戦は16勝9敗1分け。見事にリベンジを果たした。
98年の対阪神開幕戦(横浜)も印象深い。川村丈夫が史上3人目の開幕戦1安打完封を収め、新外国人ホセ・マラベは3安打1本塁打。多くのファンはマラベの打棒に12年前のポンセの姿を重ねたことだろう。そしてこの年も86年と同じく2、3戦に勝って阪神を3タテ。38年ぶりの日本一につながるスタートダッシュとなったのは言うまでもない。ただし、マラベの活躍はこの開幕3連戦だけだったが。
今年から申告敬遠が公認野球規則に採用され、4日のDeNA対阪神戦で金本知憲監督が初めて適用したが、この件で82年の大洋対阪神開幕戦、小林繁のサヨナラ敬遠暴投を思い出した人も多いはず。83年にファンになった僕はその様子を雑誌『横浜大洋』のバックナンバーで想像するしかなかったのだが、84年頃、日本テレビで放送されたタモリ司会のNG特集番組でこのシーンが長めにオンエアされたのを偶然目の当たりにする。完封負けが濃厚な9回に田代富雄とマイク・ラムのタイムリーで追いつき、続く高木嘉一は敬遠策。しかしサイドハンドからの全力投球が身上の小林は軽く放る敬遠球が明らかに投げにくそうで、2球目に上ずったのをキャッチャー若菜嘉晴がジャンプして何とかキャッチ。そして3球目は大きく三塁側に逸れる暴投となり、三塁走者の大久保弘司が小躍りしてホームイン。その一部始終をタモリに突っ込まれつつ、苦笑いしながら説明する引退後のダンディー小林繁の姿も脳裏に焼き付いている。今後は、こんなシーンはまず見られなくなるのだ。
ベイスターズの開幕戦は通算で31勝35敗3分け。たかが開幕戦、されど開幕戦。そのすべてに歴史あり。
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