輪切りにされた庭木の暗示
事件は、同居している息子が外出しているときに起こりました。
寝ていた83歳の夫に76歳の妻が馬乗りになって、刃渡り25センチメートルののこぎりで喉ぼとけを切ったのです。そして、夫が死ぬまでの2時間あまり、馬乗りになったまま衰弱していく様子を見ていたそうです。
夫はもともと病気があったようで、喉を切られても、馬乗りになった妻を跳ね返す力がなかったと思われます。
妻は、「夫の暴力やお金をわたさないなど、長年の怨みがあった」と供述しています。
それにしても、なぜ、包丁などの鋭利な刃物ではなく、のこぎりなのか……。のこぎりは、刃物の中でもあまり殺傷能力が高いとは思えません。
ひと思いに殺さず、長時間苦しみを与えたかったのでしょうか?
不自然な庭木は、夫を殺すための予行演習だったのでしょうか?
人の怨みの恐ろしさ
お祓いをしてから、数週間が経ちました。
理髪店で待ち時間に置いてあった写真週刊誌を見ていたら「ノコギリ惨殺老婦」という見出しの言葉が目に飛び込んできました。
事件が起きたのは茅ケ崎と書いてあります。
この間の事件現場のお祓いも、茅ケ崎市だったなぁ。
と軽い気持ちでページをめくると、そこに載っている写真に、見覚えがありました。
「これは、わたしが行ったところだ!」
木の枝がすべて切り落とされ輪切りにされた、あの庭を思い出しました。
76歳の妻が数十年にわたる復讐で83歳の夫を惨殺する。それも庭木を実験台にして……。首を切られた夫の苦しさに同情すると同時に、人間の怨念の強さに、背筋がゾッとし、鳥肌が立ちました。
整然と輪切りにされた庭木の光景は、今でも鮮明に思い出すことができます。