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池上彰氏「言論の自由がない国ほど、面白い政治風刺が生まれる」

池上彰×福田裕昭(テレビ東京プロデューサー) #2

note

「批判」を言葉で表現するとたちまち削除されてしまう

池上 中国では、国家主席の任期を2期までとすることをやめましたよね。その途端に、中国国内のYouTubeにあたる動画サイトに自動車がバックしている映像が次々とアップされました。「バック、バック、バック」。つまり政治が、世の中全体が、毛沢東政権のような時代にバック(後退)しているんじゃないかという皮肉ですね。毛沢東時代の任期は無制限でした。独裁政権を作らないようにするために、任期を作ったのに、また無制限に戻ってしまった。そのような批判を言葉で表現するとたちまち削除されてしまうので、自動車をバックさせる映像が次々と現れた。

福田 なるほど。それは知恵ですよね。ある一定数のインテリや勘のいい人にだけは分かる、信号というかサインのようなものですね。

 一方で、一緒に取材させていただいたリビアのトリポリでは、カダフィーのことを辛辣に表現した絵や写真を街で見かけましたよね。カダフィー政権が崩壊して1年たらずの頃でしたが、あれは自由を得た反動ということなのでしょうか。

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池上 それまでずっと溜まっていたものが、一挙に出た反動でしょうね。あの時非常に印象的だったのは、リビアのお札にはカダフィーの写真が描かれていましたが、政権が崩壊した後、まだその紙幣を使わなければならないという時期でも、カダフィーの顔を黒く塗りつぶしたお札が出回っていたでしょう。今は新しいお札になりましたけどね。

 

福田 フセインの顔が描かれたイラクのお札もそうでしたね。

池上 はい。海外取材をしていて、言論の自由がない状況で、それでも言いたいことを何とか表現している例を見つけたときは「非常にセンスがあるな」と感心してしまいますね。

「難しい話を易しい言葉で表現することが池上さんの真骨頂」

福田 私が池上さんと時事番組を作るようになったのは、世界の近現代史を映像で解説する「池上彰の20世紀を見にいく」(BSジャパン、2008年4月~2012年3月)という10分番組がひとつの始まりでした。

 池上さんがNHKを退社されたらしいと風の噂で聞いて、「何とか連絡を取りたい」と思って人づてに連絡先を教えてもらい、コーヒーショップで初めてお会いしたんですよね。

 

池上 そうでした。2005年の3月31日で私がNHKを辞めてフリーランスになったとき、すぐに福田君から会いたいと連絡があったんです。

福田 執筆活動と海外取材に専念されたいということで、テレビ出演を簡単には引き受けてもらえませんでした。何度か話し合って「池上彰の20世紀を見にいく」が生まれ、103本作りました。よく勘違いする人が、池上さんは「易しい題材を選んで解説している」と言うのですがそれは間違っていて、「難しい話を易しい言葉で表現する」ことが池上さんの真骨頂です。「池上彰のニュース そうだったのか!!」(テレビ朝日系)という番組でも、当初からイランやイラクなどの中東情勢のことを取り上げていましたよね。

池上 テレビ朝日でレギュラーの番組を持つきっかけになったのは、大混乱を巻き起こしたイランの大統領選挙のときでした。「イランってどんな国?」というところからでしたね。